訃報(2019年3月30日):セシリア・マキュアン夫人(ヴァイカースハイム伯爵女ツェツィーリア)、薨去(1937~2019)ホーエンローエ=ランゲンブルク家貴賤結婚の子孫

 2019年3月30日、セシリア・マキュアン夫人(Cecilia McEwen : ヴァイカースハイム伯爵女ツェツィーリアツェツィーリア・グレフィン・フォン・ヴァイカースハイムCecilia Gräfin von Weikersheim)が薨去した模様です。
 1937年10月27日?28日?生まれの81歳。

 ヴァイカースハイム家はホーエンローエ=ランゲンブルク家の貴賤結婚の子孫で、同夫人の薨去をもって一人もいなくなったと思われます。

※下記記事で「née Princess Weikersheim」とありますが、同系統は当主は「Fürst」ですが、一族は「Graf」または「Gräfin」らしいので、誤りでしょう。

 

 (英語:情報が表示されない場合があります)McEWEN – Deaths Announcements – Telegraph Announcements

Cecilia Leontine Mary (née Princess Weikersheim), died peacefully at home, on 30th March 2019.

 (英語)Peerage News: Cecilia Leontine Mary McEwen (Princess Weikersheim) 1937-2019

 (英語)Royal Musings: Cecilia McEwen (1937-2019), great-great granddaughter of Princess Feodora of Leiningen

 

ライニンゲン公子カール・エミッヒ殿下を“ロシア皇帝ニコライ3世”として擁立しているロシアの君主政主義者党の立ち上げた王室情報サイト(2019年3月)“ニコライ3世”ではなく「ロシア公子ニコライ・キリロヴィチ殿下」となっています

 アントン・バコフ氏ら君主政主義者党がライニンゲン公子カール・エミッヒ殿下を「ロシア皇帝ニコライ3世」とし、理屈はともかくとして、ちょっとその宣言にはうんざりしながらも注目していた人も多かったのですが、いつの間にか同党関係者が王室情報サイトを立ち上げていました。
 各国の王室情報やロシアの過去の情報に、自分たちの情報を混ぜ込んでしまおうというものかと思われますので、その辺りはご注意を。

 

 さて、そのサイト。
 英語版の「About-his-highness」のところからですが……

 

 About-his-highness

The Heir to the All-Russian Emperorship,
His Highness Prince of the Imperial Blood Nikolay Kirillovich of Russia,
Prince zu Leiningen.

 「ロシア帝位継承者/ロシア公子・ライニンゲン公子ニコライ・キリロヴィチ殿下」、ということでいいでしょう。

 なぜいつのまにかロシア皇帝ニコライ3世を称するのをやめたのかよくわかりませんが、なぜ称したのかもよくわからないので、考えないことにします。

 

 また、同ページですが、殿下に関することと彼らの立場(動機はともかくとして)がまとめて比較的短く説明されており、一読する価値は……興味があればあるのではないでしょうか。

 

 ここで簡単にわかりやすく説明してしまいますと、彼らがロシア皇帝・ロシア帝室当主としているのは、
 ニコライ2世 → (従弟の)キリル大公 → (長男の)ウラジーミル大公
 という順番になるようで(これはある程度知られていると思いますが)、ここまでは現当主のマリヤ女大公殿下と同じです。

 しかしここから先はロマノフ家協会などの理屈、すなわちウラジーミル大公の結婚は同等身分の結婚ではないため、生まれた子供=マリヤ殿下にはロシア帝位継承権はないとするものです。

 一方で、ウラジーミル大公自身が地位を失うわけではないとします。これはオーストリアのハプスブルク家で、フランツ・フェルディナント大公が貴賤結婚をしながらも次期帝位は失わなかったことを考えれば(暗殺されてしまいましたが)ムチャな主張ではありません。

重要なところ書き忘れていたので追記:
 さて、ウラジーミル大公のあとのことですが、男系男子が消滅するため、「再近親の男系女子・またはその男子優先長幼制子孫を考える」というのがセミ・サリカ法の基本の一つです(他の考え方もあります。セミ・サリカ法は極めてよくわからないものであり、最終的には力で決まるシステムと思ったほうが良いかと)。
 これにより、ウラジーミル大公の長姉であるマリヤ大公女(もちろん現当主のマリヤ殿下とは別人)及びその子孫が対象となります。
 1992年のウラジーミル大公薨去時に、マリヤ大公女及び長男のライニンゲン公エミッヒは故人となっていますので、エミッヒの長男ライニンゲン公子カール・エミッヒ殿下が潜在的なロシア帝位継承者となるわけです(潜在的であるのは、東方正教会の信徒でないことと、ロシア帝室法を守ることや当主となることを誓っていないことにあります)。
 カール・エミッヒ殿下は、二回目の結婚が貴賤結婚だったことにより、ライニンゲン公位継承権を失っていますが、上記のウラジーミル大公と同じく、本人のロシア帝位継承権が失われるわけではない、とするのが彼らの立場です。また、ライニンゲンの称号や敬称は失われていないとしていますが、これについては一般的にもそう扱われていることが多いです(他の家にも例はあります)。

 さらに、ウラジーミル大公は長女のマリヤ殿下を“摂政的地位”としたことについては(このあたり詳しくありませんが結局最終的には後継者になっています)、これはロシア帝室法の観点から見て合法ではないものの、当主が存在しない時期には不明確さが残るとします。が、2013年にカール・エミッヒ殿下が東方正教会の信徒となり、ロシア帝室法を守ることを誓い当主となったことにより、なんの意味もないものとなった、という解釈のようです。

 

 それはさておくとして。

 上記ページでは、三回の結婚のうち、

In 1984, Prince Karl Emich zu Leiningen contracted a dynastic marriage with Princess Hohenlohe-Öhringen (1960–1989), in which their daughter, Princess Cecilia zu Leiningen was born in 1988.

in which his second daughter Theresia zu Leiningen was born.

in which their only son Prince Emich zu Leiningen was born in 2010.

 興味深いのは、2010年に生まれた子息エミッヒ公子殿下について、ロシアに関連する称号の表記がないことが挙げられます。未成年であり、両親が望めば東方正教会への改宗も問題ないことを考えると、三回目の結婚が同等身分間でないことから、ロシアの称号を与えるのを躊躇しているのではないかとも思われます(“ニコライ3世”を躊躇してほしかったですが)。

 二回目の結婚で生まれた次女については、 Princess 表記がなく、母親が貴族ですらないということで問題外扱いなのかもしれません。単にタイプ時に抜けただけかもしれませんが……。

 しかし、一回目の結婚については、これはメディアタイズド・ハウス【シュタンデスヘル】同士の結婚であり、ロシア帝室とライニンゲン家の結婚が同等身分なのであれば、こちらもまた同等身分であるといえます。
 つまり、この結婚で生まれた子供は、(潜在的には)ロシア帝室の一員としての権利を持つ子供、ということになるでしょう。
 ライニンゲン公女ツェツィーリエ殿下(Her Serene Highness Princess Cäcilie of Leiningen)は30歳になっており、もしこのロシア話に興味があれば加わるでしょうし、そうであればロシア公女(Princess of Russia)の称号付きで記述されている可能性が高いでしょう。
 ですが、そのような称号は併記されておらず、残念ながら(?)このようなうさんくさい話には興味がないということかと。

 

※「ロシア公子」「ロシア公女」について

 ロシア帝室では、英語で「Prince」「Princess」にあたる称号を持つのは、皇帝から曾孫以降の(遠縁の)成員であり、大公や大公女より明確にランクが低いものです(敬称も「Imperial Highness」を用いず「Highness」「Serene Highness」を用います)。
 よって「皇子」や「皇女」としてしまうと、そのランクの低さが伝わらないため、当サイトでは「公子」「公女」としています。

 

関連:
 ロシア帝室ロマノフ家当主/ロシア女大公マリヤ殿下が、ロシア帝位継承法の変更の承認を、キリスト教/ロシア正教会モスクワ総主教キリル聖下に求めている模様(2019年1月)

 

訃報(2019年2月19日):“サー”・マイルズ・ハンティントン=ホワイトリー準男爵(第4代)、卒去(1929~2019)母方の祖父はスタンリー・ボールドウィン英国首相(伯爵)。モデルのロージーは従弟の孫

 2019年2月19日、英国の連合王国準男爵、“サー”・(ジョン・)マイルズ・ハンティントン=ホワイトリー準男爵(Sir (John) Miles Huntington-Whiteley, 4th Baronet, Lt Cdr RNR, VRD and Two Clasps)が卒去したようです。
 1929年7月18日生まれの89歳。

 第2代準男爵の三男で、母のマーガレットは、英国首相を務めたスタンリー・ボールドウィン(初代ボールドウィン・オブ・ビュードリー伯爵)の娘。
 モデルのロージー・ハンティントン=ホワイトリーRosie Huntington-Whiteley)は従弟の孫のようです。
 初代準男爵の兄は初代マーチャムリー男爵。

 また、1960年に、カステル=リューデンハウゼン伯女ヴィクトリア殿下と結婚しています。

 卒去に伴い、子息のレオポルドLeopold)が第5代準男爵となると思われます。

 

 (英語)HUNTINGTON-WHITELEY – Deaths Announcements – Telegraph Announcements

 

誕生(2018年11月22日):フュルステンベルク公子トリスタン殿下

 2018年11月22日、フュルステンベルク公子トリスタン殿下(His Serene Highness Prince Tristan of Fürstenberg : トリスタン・プリンツ・ツー・フュルステンベルクTristan Prinz zu Fürstenberg)が誕生したようです。
 フュルステンベルク公世子クリスティアン殿下とジャネット妃殿下の間の第三子・次男となります。

 

 (ドイツ語)Donaueschingen: Nachwuchs im Hause Fürstenberg: Erbprinzessin bringt gesunden Sohn zur Welt | SÜDKURIER Online

 

訃報(2018年11月15日):シェーンブルク=ハルテンシュタイン公アレクサンダー殿下が薨去(1930~2018)

 2018年11月15日、シェーンブルク=ハルテンシュタイン公アレクサンダー殿下(Alexander : His Serene Highness The Prince of Schönburg-Hartenstein : アレクサンダー・フュルスト・フォン・シェーンブルク=ハルテンシュタインAlexander Fürst von Schönburg-Hartenstein)が薨去したようです。
 1930年1月8日生まれの88歳。

 長男で継嗣のヨハネス殿下(Johannes)が新たにシェーンブルク=ハルテンシュタイン公となります。

 

 (PDFファイル:ドイツ語)Parte.pdf