ドイツの博物館から、バーデン大公妃ヒルダ殿下のティアラが盗まれた模様(2017年4月)1億5000万円くらいの価値?

 2017年4月29日に、ドイツの博物館で、バーデン大公妃ヒルダ殿下(1864~1952 : Hilda : Her Royal Highness The Grand Duchess of Baden : ナッサウ公女ヒルダ殿下 : Her Highness Princess Hilda of Nassau)のティアラが盗まれているのが発見された模様です。

 

記事:
 (ドイツ語)1,2 Millionen Euro: Diadem aus Badischem Landesmuseum in Karlsruhe gestohlen – FOCUS Online

 

誕生(2015年7月?):ミハエル・プリンツ・フォン・ザクセン=マイニンゲン

 2015年7月に、ザクセン=マイニンゲン公室のザクセン=マイニンゲン公コンラート殿下の甥にあたるコンスタンティン・プリンツ・フォン・ザクセン=マイニンゲンConstantin Prinz von Sachsen-Meiningen)に、第一子となる男子(ミハエル・プリンツ・フォン・ザクセン=マイニンゲンMichael Prinz von Sachsen-Meiningen)が誕生したとの情報が出ています。

 コンスタンティン氏は、ザクセン=マイニンゲン公コンラート殿下の亡父ベルンハルト殿下の貴賤結婚(1回目の結婚)で権利を得ていない異母兄フリードリヒ・エルンストの子であり(従って“公子”でも“殿下”でもありませんが、そう称されていることも多く詳細は不明)、現在のルールではザクセン=マイニンゲン公位の継承者とはなれませんが(そもそも父が祖父の後を継いでいない時点でダメですが)、コンラート殿下に子供がいないことと、他に近い男系男子がいないことから、ルール変更などにより後継者となるであろうとみられています(仮にならなくても他に近親がいないので家産を継承するでしょう)。また、コンスタンティン殿下の母はザクセン=コーブルク=ゴータ公室出身(ザクセン=コーブルク=ゴータ公女ベアトリーツェ・シャルロッテ殿下)のため、やや特殊な継承に対して他のエルネスティン家2家より異論が出る可能性も低いのではないかと思います。

 しかし、今回誕生したミハエルの母ゾフィア・ルプスSophia Lupus)とコンスタンティン氏が結婚していないという情報もあり、その場合は、コンスタンティン氏自身の問題とは別に、ミハエルの継承権が存在していないという問題が発生します(もちろんのことですが、可能になるようにルール変更をおこなったという主張が将来出ることはありえます)。

 ちなみに、ザクセン=マイニンゲンの元々のルールに基づくと、継承者が存在しなくなった場合、ザクセン=コーブルク=ゴータのもっとも直系に近い男子に権利があることになるようです。
 現在のところ、ザクセン=コーブルク=ゴータ公アンドレアス殿下となりますが、(ザクセン=コーブルク=ゴータ公室を離れている)英国王室のグロスター公爵リチャード王子殿下が該当すると見る人もいます。

 

記事:
 (英語)EuropeanRoyalHistoryJournal.blogspot.com: Meiningen: A New Baby Heir
 (英語)Royal Musings: A new baby in the House of Saxe-Meingen
 
 

訃報(2015年6月4日):前ハノーファー王室当主夫人/ハノーファー公妃(未亡人)モニカ殿下、薨去(1929~2015)

 2015年6月4日、ハノーファー公妃モニカ殿下(Her Royal Highness Princess Monika of Hanover)が薨去した模様です。
 1929年8月8日生まれの85歳。
 先代のハノーファー王室/ハノーファー公である故エルンスト・アウグストの2番目の妻で、二人の間に子供はありません。
 メディアタイズド・ハウス(陪臣化された神聖ローマ帝国領邦国家君主の家柄)の一つ、ゾルムス=ラウバッハ家出身です。

 

記事:
 (ドイツ語)Monika von Hannover ist tot

 (英語)Royal Musings: Another Hannover death
 (英語)Royal Musings: Death Notice: HRH Princess Monika of Hannover

 

訃報(2015年6月1日):ハノーファー王子妃アレクサンドラ殿下、薨去(1937~2015)

 2015年6月1日、ハノーファー王子妃アレクサンドラ殿下(Her Royal Highness Princess Alexandra of Hanover : アレクサンドラ・プリンツェッシン・フォン・ハノーファーAlexandra Prinzessin von Hannover)が薨去した模様です。
 1937年10月23日生まれの77歳。

 メディアタイズド・ハウス(陪臣化された神聖ローマ帝国領邦国家君主の家柄)の一つ、イーゼンブルク=ビューディンゲン家出身です。

 ドイツ・キリスト教民主同盟(CDU)からフランクフルト・アム・マイン郡独立市の議員を務めていました。

 

記事:
 (ドイツ語)Journal Frankfurt Nachrichten – Frankfurt trauert um Alexandra Prinzessin von Hannover – Charity Lady ist gestorben
 (英語)Royal Musings: The death announcement for HRH Princess Alexandra of Hanover

 

結婚(2015年5月30日):イーゼンブルク=ビューディンゲン公子フリードリヒ=レオポルト殿下とモンジュラ伯爵女マリー=エレーヌ

 2015年5月30日に、イーゼンブルク=ビューディンゲン公子フリードリヒ=レオポルト殿下(His Serene Highness Prince Friedrich-Leopold of【zu】 Ysenburg【Isenburg】-Büdingen)とモンジュラ伯爵女マリー=エレーヌ・ド・ガルヌランMarie-Hélene de Garnerin, Countess【Gräfin】 of【von】 Montgelas)が、ドイツ連邦共和国バイエルン州のライテンハスラッハで結婚したようです。

 フリードリヒ=レオポルト公子は1983年11月6日生まれの31歳。イーゼンブルク=ビューディンゲン家当主/イーゼンブルク=ビューディンゲン公ヴォルフガング=エルンスト殿下の甥です。
 マリー=エレーヌ伯爵女は1986年生まれ。