訃報(2018年?月):リヒテンシュタイン公女エリザベート殿下、薨去(1932~2018)イタリアのウィンスピア男爵家の系統に嫁ぐ、映画関係者のエドアルド・ウィンスピアは子息

 正確な月日が不明ですが、リヒテンシュタイン公女エリザベート殿下(ウィンスピア男爵子夫人 : Her Serene Highness Princess Elisabeth of Liechtenstein, Baroness Winspeare : Ihre Durchlaucht Prinzessin Elisabeth von und zu Liechtenstein)が薨去したと報道されています。
 1932年1月17日生まれ(2月としている記事もありますが、1月が正しいのではないかと)。

 愛称は「Guky」(グキー?)。

 

 (イタリア語)Morta la mamma di Edoardo Winspeare | Il Gallo
 (イタリア語)E' morta la baronessa Winspeare, origini viennesi e una vita a Depressa

 

 1814年に男爵号(ナポリ?)を授けられているウィンスピア家の、グイチャルディ系統の一員、故リカルド・ウィンスピア・グイチャルディRicardo Winspeare Guicciardi)と結婚、映画関係者のエドアルド・ウィンスピア・グイチャルディEdoardo Winspeare Guicciardi)、フランチェスコ・ウィンスピア・グイチャルディFrancesco Winspeare Guicciardi)、クララ・ポリッセナ・ウィンスピア・グイチャルディClara Polissena Winspeare Guicciardi)の三人の子供あり。

 ウィンスピア家自体は英国のカトリックで、ステュアート王朝崩壊後にイングランドを出たようです。

 

30歳(2018年8月8日):英国王室のベアトリス王女殿下が30歳に

 2018年8月8日、英国王室のヨーク公爵家ベアトリス王女殿下(Her Royal Highness Princess Beatrice of York)が30歳を迎えました。

 ヨーク公爵アンドルー王子殿下(Prince Andrew : His Royal Highness The Duke of York)の長女で、英国女王エリザベス2世陛下(Elizabeth II : Her Majesty The Queen)の孫。
 現在の英国王位継承順位は第8位となっています。

 

The Royal Family Channel:
Princess Beatrice's 30th birthday: A look at her most memorable moments – YouTube

 

 (英語)Happy Birthday Beatrice: 30 facts about Princess Beatrice of York – Royal Central

 

記事(スペイン語):ペルーの少数民族シピボ族の血を引くハプスブルク家のオーストリア大公女アマヤ殿下【7歳】と母・大公妃マヤスニ殿下、祖母に関する記事(2018年8月)

 (スペイン語)Mayasuni y Amaya: las archiduquesas de Austria con sangre shipiba

※名前に含まれている「ya」の表記ですが、「ジャ」とするほうも考えましたが、スペイン語圏およびペルー内でも発音がかなり違うものですし、シピボ族の発音や、ましてロンドン生まれのアマヤ大公女殿下がどう呼ばれているかはなんともいえないところなので、「ヤ」で統一しておきます。

 

 ペルーの少数民族シピボ族(シピボ人 : Shipibo people)の血を引くハプスブルク家のオーストリア大公女アマヤ殿下(オーストリア皇女 : ハンガリー王女 : ベーメン王女 : Her Imperial and Royal Highness Archduchess Amaya of Austria, Princess Imperial of Austria, Princess Royal of Hungary and Bohemia : アマヤ・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンAmaya von Habsburg-Lothringen)と母のオーストリア大公妃マヤスニ殿下(Her Imperial and Royal Highness Archduchess Mayasuni of Austria)、祖母カロリン・ヒースCarolyn Heath)に関する記事です。

 英国/イングランドからカロリン・ヒースがペルーのシピボ族の地にやってきて、惚れ込んでそこで活動して子供(マヤスニ・ヒース嬢含む)もできたものの、多数のテロを実行した極左武装組織「センデロ・ルミノソ」の勢力拡大に伴い、首都リマへ、そしてペルーを脱出。
 そこで、その後なにがどうなったのかこの記事からはさっぱりわかりませんが、マヤスニ・ヒース嬢は2006年に、ハプスブルク家のオーストリア大公フィリップ殿下【1962年生まれの】と結婚します。このフィリップ殿下は、オーストリア帝室当主のカール大公殿下の従弟にあたります。

 現在のオーストリア帝室の結婚規定は極めてゆるく、キリスト教の式を挙げれば問題ない、ということになっています。過去の皇帝たちが聞いたら卒倒しそうな気もしますが。いっぽう、分枝のトスカナ大公室の結婚規定はそこまでゆるくないので、トスカナ系統に属していてオーストリア帝室の一員ではあるけれどトスカナ大公室の一員ではない、ということもあります。
 ともあれ、フィリップ殿下とマヤスニ・ヒース嬢の結婚は、キリスト教式でおこなわれたようで、マヤスニ嬢はオーストリア大公妃となり、2011年に生まれたアマヤ殿下もオーストリア帝室ハプスブルク=ロートリンゲン家の一員です。

 なお、アマヤ殿下がロンドンで生まれているので、一家は普段英国に住んでいるのかもしれませんが、ヨーロッパ圏内の人物がロンドンで出産するケースはそれなりに多いので、そのあたりは不明です(アマヤ殿下の国籍もわからないといえばわからないですね)。

 今回、アマヤ大公女殿下、マヤスニ大公妃殿下、カロリン・ヒースはシピボ族の地を訪問し、アマヤ殿下はシピボ族の名としてスイサメヌSuysamenu)を受けた模様。
 スペイン語としては、「especial」「elegante」「brillante」が意味が近いということです(英語では「special」「elegant」「brilliant」にあたると思いますが多少意味合いが違うかもしれません)。

 

ブルガリア王女カリナ殿下がフランスを訪問、ドルー王室礼拝堂ではオルレアン派フランス王室継嗣ヴァンドーム公爵ジャン王子殿下と会見(2018年6月)

 2018年6月1日~6月3日の日程で、ブルガリア王女カリナ殿下(ザクセン=コーブルク=ゴータ公女 : ザクセン公女 : ムラニー女伯爵 : Her Royal Highness Princess Kalina of Bulgaria, Princess of Saxe-Coburg and Gotha, Duchess in Saxony, Countess of Murany)がフランス共和国を訪問していたようです。

 オルレアン家埋葬地のドルー王室礼拝堂【サン=ルイ王室礼拝堂】では、他の訪問者らとともに、オルレアン派フランス王室のフランス皇太子/ヴァンドーム公爵/フランス王子/オルレアン公子ジャン殿下(Prince Jean of France : His Royal Highness The Dauphin de France, Duke of Vendôme : Prince of Orléans)から案内を受け、礼拝に参列した模様。

 また、映画 “The King” の試写会などを訪問したようです。

 

 (英語:ブルガリア王室公式サイト)Visit of HRH Princess Kalina in France « H.M. King Simeon II

 

関連:
 ブルガリア王フェルディナンド1世の再埋葬(2024年5月)曾孫のカリナ王女殿下の筋肉が一部で話題に……

訃報(2018年7月27日):ヴァルデック=ピルモント公子妃インゲボルク殿下、薨去(1932~2018)夫のフリードリヒ=カール殿下薨去から一月余りで

 2018年7月27日、ヴァルデック=ピルモント公子妃インゲボルク殿下(Her Serene Highness Princess Ingeborg of Waldeck and Pyrmont : インゲボルク・ププリンツェッシン・ツー・ヴァルデック・ウント・ピルモントIngeborg Prinzessin zu Waldeck und Pyrmontインゲボルク・フォン・ビーラIngeborg von Biela)が薨去した模様です。
 1932年7月2日生まれの86歳。

 夫のヴァルデック=ピルモント公子フリードリヒ=カール殿下が6月25日に薨去したばかりでした。

 

 (ドイツ語:死亡告知)Anzeige von Ingeborg Prinzessin zu Waldeck und Pyrmont | trauer.wlz-online.de