天皇(徳仁)陛下が、セネガル大統領マッキー・サル閣下と会見(2022年12月)

 2022年12月19日、天皇陛下(徳仁なるひと : Emperor Naruhito : His Majesty【His Imperial Majesty】 The Emperor)は、実務訪問賓客として来日中のセネガル共和国大統領マッキー・サル閣下(His Excellency Mr Macky Sall)と会見しました。

 

日テレNEWS:
【天皇陛下】セネガル・サル大統領と面会 水の問題などについて懇談 – YouTube

 

Macky SallさんはTwitterを使っています: 「Je remercie Sa Majesté l’Empereur Naruhito de m’avoir reçu en son Palais ce 19 décembre. Nous avons échangé sur des sujets d’intérêt commun, notamment les enjeux liés à la question de l’eau dans les relations internationales. https://t.co/PJuHIhhhyD」 / Twitter

記事(スペイン語):ボリビアのアフロ=ボリビア王室に関する記事(2022年10月)

 以前にも記事にしましたが、ボリビア多民族国のアフロ=ボリビア人(奴隷としてアフリカから連れてこられた人々の子孫の少数コミュニティ)と、アフロ=ボリビア王室(2007年ボリビア政府承認)およびフリオ1世陛下に関する記事が新たに出ていたのでリンクしておきます。
 内容としては特に目新しいものはありませんが……。

 記事中、ローランド皇太子殿下の年齢が27歳となっていますが、7月30日に28歳になっています。単なる誤りか、記事の構成がその前におこなわれたかのどちらかでしょう。

 

 (スペイン語)Julio Bonifaz Pinedo: el último rey de América y su monarquía afroboliviana – Latinoamérica – Internacional – ELTIEMPO.COM

EL TIEMPOさんはTwitterを使っています: 「🔴 Así vive el último rey de América y su monarquía afroboliviana ► https://t.co/DSriMMdIG1 https://t.co/gG7SDbkLv6」 / Twitter

 

 なお、この記事を英語に翻訳しているようなサイトも見かけたのですが、 Google 翻訳を通しただけのような……。
 (英語)This is how the last king of America lives and his Afro-Bolivian monarchy – Pledge Times

 

 記事中でも言及されている BBC の記事はおそらくこちらでしょう。
 (英語)Bolivia's little-known tribal kingdom – BBC Travel

 

 王室公式サイトはこちらとなります。
 (スペイン語:アフロ=ボリビア王室 公式サイト)Web Oficial de la Casa Real Afroboliviana

 

 以前に当サイトで簡単に取り上げた記事がこちら。
 記事(英語):ボリビアのアフロ=ボリビア人と、アフロ=ボリビア王室(2007年ボリビア政府承認)に関する記事(2021年3月)

記事(英語):ボリビアのアフロ=ボリビア人と、アフロ=ボリビア王室(2007年ボリビア政府承認)に関する記事(2021年3月)

 ボリビア多民族国のアフロ=ボリビア人(奴隷としてアフリカから連れてこられた人々の子孫の少数コミュニティ)と、アフロ=ボリビア王室(2007年ボリビア政府承認)に関する記事がありました。

 

 (英語)The Afro-Bolivians And Their Monarchy In Bolivia: An Enigmatic Kingdom | Ancient Origins

 

 通説(というほどたくさんの情報を見たことがありませんが)、アフリカのコンゴ王国の王子でボリビアのあたりに連れてこられたウチチョ王子(Prince Uchicho)が19世紀前半に戴冠(上記記事では1823年、1832年説も)したとされています。
 また、コンゴではなくセネガルからという説もあります(追記:王室公式サイトではセネガル)。

 後継のボニファス王のときに(奴隷解放時によくある例の)プランテーション所有者の姓ピネドをそのまま用いるようになり(Bonifaz Pinedo)、王位はホセ・ピネドJosé Pinedo)、ボニファシオ・ピネドBonifacio Pinedo)と子息の継承で続きます。

 ボニファシオ王の崩御は1950年代とされており、これ以降、現在のフリオ・ピネド王陛下(Julio Pinedo)までは、上記記事などによればボニファシオ王の後は娘のアウロラ王女(Doña Aurora)が王室を率い(女王とされていないので摂政的な役割ということになるのでしょうか)アウロラ王女の子息がフリオ王陛下であるとしています。

 少し不思議なこともあり、フリオ王陛下の戴冠は1992年とされていますが、外見や年齢からみるともう少し早く戴冠して良さそうにも思えます(男系男子消滅によって合意が形成されなかったのかもしれません)。

 また、継嗣のローランド・ピネド皇太子殿下(Prince Rolando Pinedo)は、上記記事では王自身の子供のように取れますが、甥を養子としたという話もあります。

※現在、王室の公式サイトにアクセスできないので、王室自身がどのように発信しているのか確認できません。
 公式サイトにアクセスできるようになりました。
 (スペイン語:アフロ=ボリビア王室 公式サイト)Web Oficial de la Casa Real Afroboliviana

 

 同王室は、2007年にボリビア政府に承認を受けて公的な存在となっています。