訃報(2019年7月24日?7月25日?):ホーエンベルク公ゲオルク・フリードリヒ閣下、薨去(1929~2019)ハプスブルク家フランツ・フェルディナント大公の貴賤結婚の孫

 2019年7月24日か7月25日なのか情報がはっきりしませんが、ホーエンベルク公ゲオルク・フリードリヒ閣下(Georg Friedrich : His Highness The Duke of Hohenberg : ゲオルク・フリードリヒ・ヘルツォーク・フォン・ホーエンベルクGeorg Friedrich Herzog von Hohenbergゲオルク・フリードリヒ・ホーエンベルクGeorg Friedrich Hohenberg)が薨去したという情報が出ています。
 1929年4月25日生まれの90歳。

 

 (フランス語)Mort du Duc de Hohenberg – RoyautéNews

 

Almanach de GothaさんはTwitterを使っています: 「His Highness Georg Friedrich, 3rd Duke of #Hohenberg, born #Artstetten 25-4-1929, died #Vienna 24-7-2019 #requiescatinpace」 / Twitter

 

 経歴としてチュニジア共和国駐箚、ローマ教皇聖座駐箚(マルタ騎士団、サンマリノ共和国兼轄)オーストリア共和国特命全権大使。
 オーストリア系の金羊毛騎士団の騎士。

 

 薨去に伴い、長男のニコラウス閣下(Nikolaus)がホーエンベルク公となります。

 

訃報(2019年6月30日):ホーエンローエ=バルテンシュタイン公フェルディナント殿下が薨去(1942~2019)

 2019年6月30日、ホーエンローエ=バルテンシュタイン公フェルディナント殿下(Ferdinand : His Serene Highness The Prince of Hohenlohe-Bartenstein : フェルディナント・フュルスト・ツー・ホーエンローエ=バルテンシュタインFerdinand Fürst zu Hohenlohe-Bartenstein)が薨去した模様です。
 1942年3月6日生まれの77歳。

 

 (ドイツ語)Bartenstein trauert: Ferdinand Fürst zu Hohenlohe-Bartenstein: ein Leben für ein Schloss | Südwest Presse Online

 (英語)Eurohistory: + Fürst Ferdinand zu Hohenlohe-Bartenstein (1942-2019)

 

 薨去に伴い、長男のマクシミリアン殿下(Maximilian)が公位を継承することになります。

 

誕生(2019年8月8日):イーゼンブルク公世子フランツ殿下が誕生

 イーゼンブルク公アレクサンダー殿下(Alexander : His Serene Highness The Prince of Isenburg : アレクサンダー・フュルスト・フォン・イーゼンブルクAlexander Fürst von Isenburg)とイーゼンブルク公妃ザーラ殿下(Sarahザーラ・フュルスティン・フォン・イーゼンブルクSarah Fürstin von Isenburg)は、二人の間の第三子・長男(継嗣)となるイーゼンブルク公世子フランツ殿下(His Serene Highness Hereditary Prince Franz of Isenburg : フランツ・エルププリンツ・フォン・イーゼンブルクFranz Erbprinz von Isenburg)の誕生を発表しました。

 

 (ドイツ語:イーゼンブルク公室公式サイト)Freudige Nachricht aus dem Schloss Birstein | Fürstenhaus Isenburg

 

Dr. Sarah IsenburgさんはInstagramを利用しています:「#endlesslove, #baby💙, #franz, #littlefoot」

 

 フルネームはフランツ・サルヴァトール・フェルディナント・ボニファティウス・ヴィルヘルム・マリア・エルププリンツ・フォン・イーゼンブルクFranz Salvator Ferdinand Bonifatius Wilhelm Maria Erbprinz von Isenburg)となるようです。

 

訃報(2019年7月23日):ビスマルク公フェルディナント閣下が薨去(1930~2019)“鉄血宰相”の曾孫。葬儀にオランダ王ウィレム=アレクサンダー陛下が参列

 2019年7月23日にビスマルク公フェルディナント閣下(Ferdinand : His Serene Highness The Prince of Bismarck : フェルディナント・フュルスト・フォン・ビスマルクFerdinand Fürst von Bismarck)が薨去した模様です。
 1930年11月22日生まれの88歳。

 

 (ドイツ語)Ferdinand von Bismarck (†88): Der Fürst ist tot: Jetzt meldet sich die Familie zu Wort | BUNTE.de
 (ドイツ語)Urenkel des deutschen Reichskanzlers: Ferdinand Fürst von Bismarck gestorben
 (ドイツ語)Ferdinand von Bismarck gestorben – WELT
 (ドイツ語)Ferdinand von Bismarck (†88) in Friedrichsruh neben Otto von Bismarck bei Hamburg – Hamburg – Bild.de

 

 “鉄血宰相”オットー・フォン・ビスマルクの曾孫。

 葬儀にはビスマルク家の一族のほか、 godfather の一人がフェルディナント閣下であるオランダ王ウィレム=アレクサンダー陛下(Willem-Alexander : His Majesty The King of the Netherlands)が参列。弟夫妻のオランダ王子コンスタンティン殿下(His Royal Highness Prince Constantijn of the Netherlands, Prince of Orange-Nassau, Jonkheer van Amsberg)及びオランダ王子妃ローレンティン殿下(Her Royal Highness Princess Laurentien of the Netherlands, Princess of Orange-Nassau, mevrouw Van Amsberg-Brinkhorst)も参列の模様。

 

 (ドイツ語)Heute wird der Fürst beerdigt – Streit ums Erbe der Bismarcks – Leute – Bild.de

 

 そして、ビスマルク公の称号というか当主の座は長男のカール=エドゥアルト閣下(Carl-Eduard)が継承ということになりますが、財産相続に関して弟(三男)のグレゴール伯爵子(Gregor)が自らが継承することを主張しているようです(少なくとも伝統的な称号に関しては長男の継承を否定する根拠は今のところはなさそうですが……)。
 簡単にいってしまうと、長男のカール=エドゥアルト閣下が各方面からまったく信用されていない人物だということになります。
(次男のゴットフリート伯爵子は2007年にロンドンで死亡しているのが発見されています)

 

訃報(2019年6月4日?):ヴァルトブルク=ツァイル=ホーエンエムス伯子妃プリシラ殿下、薨去(1934~2019)

 ヴァルトブルク=ツァイル=ホーエンエムス伯子妃プリシラ殿下(シェーンボルン=ヴィーゼントハイト伯女 : Her Illustrious Highness Countess Priscilla of Waldburg-Zeil-Hohenems, Countess of Schönborn-Wiesentheid : プリシラ・グレフィン・ツー・ヴァルトブルク=ツァイル=ホーエネムスPriscilla Gräfin zu Waldburg-Zeil-Hohenemsプリシラ・グレフィン・フォン・シェーンボルン=ヴィーゼントハイトPriscilla Gräfin von Schönborn-Wiesentheid)が薨去した模様です。
 1934年2月5日生まれの85歳。

※下記の一番下の記事ではヴァルトブルク=ツァイル=ルステナウ=ホーエネムスWaldburg-Zeil-Lustenau-Hohenems)と「ルステナウ」が加わっていますが、理由はわかりません。

 

 (ドイツ語)Priscilla Waldburg-Zeil in Hohenems gestorben – vorarlberg.ORF.at
 (ドイツ語)Chronik: Priscilla Waldburg-Zeil beigesetzt – vorarlberg.ORF.at
 (ドイツ語)Priscilla Waldburg-Zeil-Lustenau-Hohenems – Danksagung – VN Todesanzeigen

 

 神聖ローマ帝国領邦国家君主や数々の聖職者を輩出しているシェーンボルン家のシェーンボルン=ヴィーゼントハイト系統の出身で、同じくメディアタイズド・ハウス(シュダンデスヘル)の格であるヴァルトブルク=ツァイル=ホーエネムス家の人物と結婚しました。

 キリスト教/ローマ・カトリック教会のウィーン大司教クリストフ・シェーンボルン枢機卿座下(His Eminence Christoph Cardinal Schönborn, O.P., Archbishop of Vienna)は同族で(結構遠縁ですが)、同枢機卿は記事によれば癌の手術後ということもあって葬儀には参列しなかったようです。
 葬儀の参列者として、
 リヒテンシュタイン公ハンス=アダム2世殿下(Hans-Adam II : His Serene Highness The Prince of Liechtenstein)、
 リヒテンシュタイン公妃マリー殿下(Marie : Her Serene Highness The Princess of Liechtenstein : キンスキー・フォン・ヴヒニッツ・ウント・テッタウ伯爵女マリー : Countess Marie Kinsky of Wchinitz and Tettau)、
 バーデン辺境伯マクシミリアン殿下(マックス : His Royal Highness MaximilianMax】, Margrave of Baden)の名前が挙げられています(ホーエネムス市の市長も参列)。