戊辰百五十周年記念式典に、会津松平家第14代当主 松平保久 氏が臨席(2018年9月)

 2018年9月22日、福島県会津若松市の會津風雅堂で会津若松市戊辰150周年記念式典が開催されました。

 

 会津戦争終結の日 会津若松市 記念式典で宣言 | 県内ニュース | 福島民報

 会津松平家十四代当主の松平保久さん、NHK大河ドラマ「八重の桜」で主人公新島八重を演じた綾瀬はるかさん、子ども時代の八重役の鈴木梨央さん、会津会会長の柳沢秀夫さんのトークショーなども展開した。

旧暦の九月二十二日に鶴ケ城が開城

 

 告知通り、会津松平家第14代当主松平保久氏(まつだいら もりひさ)の臨席があったようです。

関連:
 来月【2018年9月】の戊辰百五十周年記念式典で、会津松平家第14代当主 松平保久 氏が基調講演、式典後のトークショーに出演、とのこと(2018年8月)

 

三笠宮家の寛仁親王妃 信子 殿下が、イタリアのミラノで伊日研究学会【AISTUGIA】の年次総会に臨席(2018年9月)

 2018年9月21日、三笠宮家の寛仁親王妃信子殿下(のぶこNobuko : Her Imperial Highness Princess Tomohito of Mikasa)は、イタリア共和国ミラノで、伊日研究学会【AISTUGIA : Associazione Italiana per gli Studi Giapponesi】の年次総会に臨席しました。

 

 (イタリア語:動画)Aistugia: convegno "imperiale" sul Giappone – Il Sole 24 ORE
 動画内、妃殿下の登場は前半で、そのあとはイタリア人のコメントです(最後が「マンガ・アニメ……」……)。
 「プリンツィペッサ・トモヒト・ディ・ミカサ(principessa Tomohito di Mikasa)」と言及されています。

 記事内、

(sorella minore di Taro Aso, attuale vicepremier)

 麻生太郎副総理の妹であることが書かれています。

 

追記(2018年9月30日):
 年次総会に関する記事があったのでリンクしておきます。

 (イタリア語)Il Giappone a Milano Convegno Aistugia – Ildenaro.it

Il convegno e’ stato inaugurato dalla Principessa Tomohito di Mikasa,

 こちらも表記は同じです(殿下に関する言及はこの部分だけのようです)。

 

 余談ですが、

Abenomix nato sotto il Primo Ministro Shinzo Abe

「安倍晋三総理のもとで生まれたアベノミクス」と書かれています。

 

高円宮家の絢子女王殿下と守谷慧 氏の「告期の儀」がおこなわれる(2018年9月)

 2018年9月19日、高円宮家の絢子女王殿下(あやこ : Her Imperial Highness Princess Ayako of Takamado)と、守谷慧氏(もりや けいKei Moriya)の「告期の儀」がおこなわれたようです。

 

 絢子さま「告期の儀」 結婚式の日取り正式決定 | NHKニュース

「告期の儀」は結婚式の日取りを正式に決める皇室の行事で、19日午前10時前、守谷さんの使いで親族の近藤達也さんが、モーニング姿で高円宮邸に到着しました。

続いて、絢子さまと母親の久子さまが待たれる、故高円宮さまの肖像画のある応接室で「告期の儀」が行われました。

結婚式は東京の明治神宮で、神式で仲人を立てずに行われ、翌日には皇太子ご夫妻や三権の長などを招いた晩さん会が催されます。

 

和歌山市西高松の県立図書館で紀州徳川家第16代当主 徳川頼貞 に関連する演奏会とシンポジウム(2018年9月)孫の徳川宜子さんが臨席とのこと

 2018年9月15日、和歌山県和歌山市西高松の県立図書館で、紀州徳川家第16代当主徳川頼貞とくがわ よりさだ)に関連する演奏会とシンポジウムがおこなわれたようです。

 頼貞の孫の徳川宜子とくがわ ことこ)さんが臨席とのこと。

 

 <南葵の宝>頼貞の音楽文庫 250人堪能 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

 

 宜子さんは紀伊徳川家第19代当主なのかどうかで議論があったりしますが、

頼貞の孫で建築家の徳川宜子さんは、

 ということで上記記事では「当主」表記はありません。

 

 この問題ですが、一般論として、現代日本には「当主」なるものを独占的・排他的に認定できるような機関・団体はありませんので、なんともいえません。
 異論が出た場合、「好きな意見」を選んでください、としか。

 

 異論の予知のない第17代当主徳川頼韶とくがわ よりあき : 頼貞の子息)が1958年に死去します。
 その後、頼貞の未亡人である為子は青山剛あおやま ごう)という人物を養子にして後を継がせています(第18代当主 : 養子にした理由がよくわかりません)。この時青山剛あらため徳川剛は、頼貞と為子の間の娘徳川宝子と結婚したということになっています。
 ところが徳川剛は、レストランの経営に失敗して、1965年に離婚(妻と)・離縁(義母と)して、以後消息不明・生死不明となっている、という状況があります(つまり現在も生きているのかもしれません)。
 このような醜態のもと、剛が紀州徳川家の第18代当主であったとその後も認識されたはずはなく、またそもそもその以前から認識されていなかったかもしれません(そこを確定させるには、1950年代後半~1960年代の資料を研究しないといけませんが……)。

 さて、上記年代が正しいとして、父の逃走のその時、長女の徳川宜子さんはまだ10歳を過ぎたあたりであり、また、徳川の血を引く母も、頼貞の未亡人である祖母も生存しています。
 こういったややこしい状況の中、母の徳川宝子については生死含めて詳細はわからないのですが、祖母は1989年に薨去します。

 よって、剛が第18代当主だとして、宜子さんが第19代当主だとすると、いったいいつどのような理由で誰が決めたのか?、という疑問が生じますが、以前のご本人のインタビューからすると、「気がついたら」ということになります。反論できません
 とはいえ、祖母は1989年に亡くなり、もし母も亡くなっているとすると、妹とされる徳川礼子さんという人物の名前も挙がっていたりしますが、姉妹二人しかいないなら長幼の序から姉を当主だと考える人々もそれなりにいた/いるのかもしれません。

 これを承認するとして、徳川宜子さんの後の当主ですが、独身らしいので、妹とされる徳川礼子さんがどうされているか、また意思はどうなのか、という点が第一に来ると思います。
 また、もちろんこれから、宜子さんが一門から養子を迎えるということもありえないわけではありませんが、今までのインタビューなどからするとそんな気はまるでなさそうではあります。

 

 徳川一門の祭祀では和装の男ばっかりずらーっと並ぶわけで、ここに並ぶことが当主として承認されていることだという考えもできます。

 が、いずれにせよ、最初にいった通り、現代日本には「当主」なるものを独占的・排他的に認定できるような機関・団体はありませんので、なんともいえません。

 

三池立花家から寄託された三池藩最後の藩主 立花種恭 の関連資料から幕末から明治初期にかけての多数の書簡が見つかる(2018年9月)

 2018年9月12日、福岡県大牟田市立の三池カルタ・歴史資料館は、三池立花家から寄託された三池藩最後の藩主立花種恭たちばな たねゆき)の関連資料から幕末から明治初期にかけての多数の書簡が見つかったことを発表したようです。

 

 岩倉具視ら明治の実力者の書簡60点 最後の三池藩主に送る 歴史資料館が発見、10月公開 [福岡県]|【西日本新聞】

 書簡を含む史料の一部は10月2日~12月9日(月曜と最終木曜休館)、同館の企画展「三池立花家の近代-立花種恭と激動の幕末維新」で公開する。入場無料。同館=0944(53)8780。

 

 岩倉具視三条実美らの名前が見えます。

 

史料は種恭から5代目に当たる現当主が先代から引き継ぐ際に出てきたという。

 ということで、現当主の名前はありません。