ブテレジ氏族長マンゴスツ・ブテレジ王子の薨去に伴い空位となっていたブテレジ氏族長に、長男のズジファ・ブテレジ王子殿下(His Royal Highness Prince Zuzifa Buthelezi)が選出されたようです。
ブテレジ氏族長マンゴスツ・ブテレジ王子の薨去に伴い空位となっていたブテレジ氏族長に、長男のズジファ・ブテレジ王子殿下(His Royal Highness Prince Zuzifa Buthelezi)が選出されたようです。
2023年9月27日、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン公クリストフ殿下(Christoph : His Highness The Prince of Schleswig-Holstein : クリストフ・プリンツ・ツー・シュレスヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク : Christoph Prinz zu Schleswig-Holstein-Sonderburg-Glücksburg)が薨去したようです。
1949年8月22日生まれの74歳。
オルデンブルク王朝およびグリュックスブルク王朝全体の最年長系統の男系男子で、デンマーク、ノルウェー、英国(チャールズ3世以降)、旧ギリシャ、旧ロシア、旧オルデンブルク大公室は、いずれも男系の傍系にあたります。
薨去に伴い、子息のシュレスヴィヒ=ホルシュタイン公世子フリードリヒ・フェルディナント殿下(Friedrich Ferdinand : His Highness The Hereditary Prince of Schleswig-Holstein : フェルディナント・エルププリンツ・ツー・シュレスヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク : Ferdinand Erbprinz zu Schleswig-Holstein-Sonderburg-Glücksburg)が、新たにシュレスヴィヒ=ホルシュタイン公およびオルデンブルク王朝およびグリュックスブルク王朝の当主となります。また、フリードリヒ・フェルディナント殿下の長男アルフレート殿下が新たな公世子です。
(ドイツ語)So geht es nach dem Tod von Christoph Prinz zu Schleswig-Holstein weiter | Der Nordschleswiger
(ドイツ語)Trauer um Christoph Prinz zu Schleswig-Holstein
(ドイツ語)Christoph Prinz zu Schleswig-Holstein ist gestorben | BUNTE.de
(ドイツ語)Christoph Prinz zu Schleswig-Holstein (†): Ein Verwandter von König Charles ist gestorben | GALA.de
(ドイツ語)Zum Tode von S.H. Christoph Prinz zu Schleswig-Holstein | Stiftung Louisenlund
(ドイツ語)Traueranzeigen von Christoph Prinz zu Schleswig-Holstein-Sonderburg-Glücksburg | trauer-anzeigen.de
2023年9月9日、南アフリカ共和国のブテレジ氏族長マンゴスツ・ブテレジ王子(Prince Mangosuthu Gatsha Buthelezi, Inkosi of the Buthelezi clan)が薨去したようです。
1928年8月27日生まれの95歳。
南アフリカ内務大臣、国会議員、クワズールー自治区首相を務め、インカタ自由党【IFP】創設者です。
また、先代のズールー王の おじ で、1954年から薨去に至るまで長期に渡ってズールー王国宰相を務めています。
南アフリカ共和国大統領マタメーラ・シリル・ラマポーザ閣下(Matamela Cyril Ramaphosa)より、クワズールー・ナタル州のウルンディで、特別公的葬儀のカテゴリー1での葬儀が宣言されています。
(英語:南アフリカ政府 公式ウェブサイト)President Cyril Ramaphosa declares Special Official Funeral Category 1, to honour Prince Mangosuthu Buthelezi | South African Government
大統領経験者として、ジェイコブ・ズマ、カレマ・モトランテ、タボ・ムベキが、政治家として、ジュリアス・マレマ、フロイド・シヴァンブ、バントゥー・ホロミサなど他党の指導者を含む多数が、ナイジェリアよりオルシェグン・オバサンジョ元大統領が参列。
SABC News:
Prince Mangosuthu Buthelezi | Political stalwart has passed on – YouTube
SABC News:
Funeral Service of Prince Mangosuthu Buthelezi – YouTube
SABC News:
Prince Mangosuthu Buthelezi | Remembering Prince Mangosuthu Buthelezi – YouTube
SABC News:
Prince Mangosuthu Buthelezi | The Life and Times – YouTube
Eyewitness News:
In memory of Prince Mangosuthu Buthelezi (1928-2023) – YouTube
(英語)IFP founder Mangosuthu Buthelezi has died – The Mail & Guardian
(英語)This is how Prince Mangosuthu Buthelezi will be buried on Saturday
(英語)Mangosuthu Buthelezi's burial marks the end of an era | City Press
(英語)Prince Mangosuthu Buthelezi’s death a ‘big loss’ for Africa, says friend and former Nigerian president Olusegun Obasanjo
(英語)IFP Memorial Service – Message by HRH Prince Ntuthukoyezwe Zuzifa Buthelezi on behalf of the Buthelezi Family – The Prince Mangosuthu Buthelezi Foundation
関連:
南アフリカ/ズールー人の新たなブテレジ氏族長に先代の子息ズジファ・ブテレジ王子殿下が選出(2023年12月)
南アフリカ/ズールー王国の宰相にトゥラシズウェ・ブテレジ閣下が任命される(2024年1月)前任の故・マンゴスツ・ブテレジ王子とは血縁関係はない模様
現在のフランス領ポリネシアにあるタヒチ島には、かつてタヒチ王国が存在し、その最後の王はポマレ5世(Pōmare V)です。
その弟のテリイトゥア・トゥアヴィラ・ポマレ王子(ジョアンヴィル公 : Prince Teriitua Tuavira Pōmare, Prince Joinville)をポマレ6世(Pōmare VI)とし(5世より先に薨去)、6世の長男ヒノイ・ポマレ王子(Hinoi Pōmare)をポマレ7世(Pōmare VII)、7世の長男と次男をそれぞれ8世と9世、9世の長男がポマレ10世、この10世が1981年に薨去した後に、弟のレオポルド・ポマレ王子(Léopold Pōmare)がポマレ11世(Pōmare XI)として王位継承者となっていたようです。
しかし、2009年、10世の養子らしき人物(詳細不明)ジョアンヴィル・ポマレ氏(Joinville Pōmare)が自らがポマレ11世であると宣言します。一族からは拒否。血を引いているわけでもないので、当たり前ではあります。
時を経て、2023年4月17日、同地のヒルトンホテルで、この後者のポマレ11世の即位式のようなものがおこなわれたようです。
これだけならば、また変な主張をする人物が変なことをおこなっただけなのですが、なぜかニュージーランドのマオリ王ツヘイティア・パキ陛下(Tūheitia Paki : ツヘイティア・ポタタウ・テ・フェロフェロ7世 : Kiingi Tūheitia Potatau Te Wherowhero VII KStJ GCCT KCLJ)がこれに参列。
マオリ王はニュージーランドでは公的な存在のため(もちろんだからといってフランス領ポリネシアのタヒチに何らかの権限を持つわけではありませんが)、君主が他の人物を君主として承認するということは意味を持つものです。よって、この後者のポマレ11世について以前より正統性のようなものが生じています。
(フランス語)Un roi, Pomare XI, et bientôt une Principauté – La Dépêche de Tahiti %
2023年1月10日、(旧)ギリシャ王コンスタンティノス2世陛下(Constantine II of Greece : His Majesty The King of the Hellenes : デンマーク王子 : Prince of Denmark)が、ギリシャ共和国アテネで崩御しました。
1940年6月2日生まれの82歳。
1964年から1973年の王政廃止までギリシャ王として統治。
妻はデンマーク王室出身の(旧)ギリシャ王妃アンナ=マリア陛下(Anne-Marie : Her Majesty The Queen of the Hellenes, Princess of Denmark)で、コンスタンティノス2世自身もデンマーク王家の男系男子。
崩御に伴い、長男の(旧)ギリシャ皇太子パウロス殿下(デンマーク王子 : His Royal Highness Crown Prince Pavlos of Greece, Prince of Denmark)が、ギリシャ王位の継承者およびギリシャ王室当主となります。
デンマークのアマリエンボー宮殿の国旗は半旗に。
国際オリンピック委員会(IOC)とギリシャ・オリンピック委員会は、パナシナイコ・スタジアムに旗を掲揚。
2023年1月16日、アテネの生神女福音大聖堂(Metropolitan Cathedral of the Annunciation : ミトロポリス大聖堂 : Metropolis【Mitropoli】 : 府主教大聖堂 : Metropolitan Cathedral of Athens)にて葬儀がおこなわれ、タトイ宮殿の王室墓地に埋葬されました。
キリスト教/東方正教会/ギリシャ正教会首座/アテネ・全ギリシャ大主教イエロニモス2世座下(His Beatitude Hieronymos II, Archbishop of Athens and All Greece and Primate of the Autocephalous Orthodox Church of Greece)が司式。
※ここから追記をします。
続きを読む 訃報(2023年1月10日):旧ギリシャ王コンスタンティノス2世が崩御(1940~2023)