ブルガリア王フェルディナンド1世の再埋葬(2024年5月)曾孫のカリナ王女殿下の筋肉が一部で話題に……

 ブルガリア王フェルディナンド1世の再埋葬がおこなわれました。

 フェルディナンド1世は、ドイツのザクセン=コーブルク=ゴータ家の出身で、ブルガリア公→初代ブルガリア王となりました。
 第一次世界大戦にブルガリア王国が敗戦側となったため、退位しドイツのコーブルクへ。
 崩御後は、ブルガリアへの埋葬を望んでいましたが、共産主義政権が拒否したらしく、ドイツのコーブルクにある聖アウグスティン聖堂(ザクセン=コーブルク=ゴータ家の埋葬地)に葬られていました。

 今回、フェルディナンド1世の遺骨を納めた棺が、ブルガリアに帰国し、葬儀と、ヴラナ宮殿への再埋葬がおこなわれました。

 孫である旧ブルガリア王シメオン2世陛下(His Majesty King【Tsar】 Simeon II of the Bulgarians : 元ブルガリア共和国首相シメオン・サクスコブルクゴツキSimeon Saxe-Coburg-GothaSimeon Sakskoburggotski)ら王族の参列がありました。
 シメオン2世の娘で、フェルディナンド1世の曾孫にあたる、ブルガリア王女カリナ殿下(ザクセン=コーブルク=ゴータ公女 : ザクセン公女 : ムラニー女伯爵 : Her Royal Highness Princess Kalina of Bulgaria, Princess of Saxe-Coburg and Gotha, Duchess in Saxony, Countess of Murany)の筋肉がたくましい様子になっていたのが、一部で話題となっているようです。

 

Bulgarian News Agency:
Тленните останки на цар Фердинанд вече са в България – YouTube

 

 

00:54あたりからカリナ王女殿下が映っています/

Bulgarian News Agency:
Ковчегът с тленните останки на цар Фердинанд I беше положен в царския дворец „Врана“

 

 (英語)BTA :: Mortal Remains of Bulgarian King Ferdinand I Brought to Bulgaria from Germany
 (英語)BTA :: King Ferdinand I Laid to Rest in Vrana Palace Crypt

カリナ王女の筋肉に触れている短文記事・写真は記事下部:
 (ブルガリア語)Не е за вярване: Вижте как изглежда княгиня Калина – Клюки – Новини Бг

再埋葬などの告知:
 (ブルガリア語:シメオン2世 公式ウェブサイト)ТЛЕННИТЕ ОСТАНКИ НА ЦАР ФЕРДИНАНД СЕ ЗАВРЪЩАТ В БЪЛГАРИЯ НА 29 МАЙ 2024 ГОДИНА « Н.В. Цар Симеон II

 

XユーザーのBulgarian News Agencyさん: 「#King Ferdinand’s Remains to Be Transported from Germany to #Bulgaria by Military Plane⬇️ https://t.co/FLsqaUhmST https://t.co/o8bsJRDbSS」 / X
https://x.com/BTAnewsENG/status/1795711671140503885

 

XユーザーのBulgarian News Agencyさん: 「Procession with King Ferdinand's Remains Begins in Vrana Park, Coffin to Be Placed in Royal Palace's Central Lobby ⤵️ https://t.co/nJ6mxUv7I2 https://t.co/vJFhJbIxrH」 / X
https://x.com/BTAnewsENG/status/1795796687132254439

 

XユーザーのBulgarian News Agencyさん: 「A funeral procession in Vrana Park will carry the remains of King Ferdinand I to the Vrana Palace. The procession started from the main entrance of the park after the hearse with the remains arrived from Sofia Airport. 📷 BTA https://t.co/mofeeYx6q2」 / X
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訃報(2020年11月3日):ヴュルテンベルク公子フェルディナント(・オイゲン)殿下が薨去(1925~2020)旧ブルガリア王シメオン2世陛下の従兄

 2020年11月3日、ヴュルテンベルク公子フェルディナント(・オイゲン)殿下(His Royal Highness Duke Ferdinand Eugen of Württemberg : フェルディナント・ヘルツォーク・フォン・ヴュルテンベルクFerdinand Herzog von Württemberg)が薨去したようです。
 1925年4月3日生まれの95歳。

 母は(故)ブルガリア王女ナデジダ殿下であり、そのため、旧ブルガリア王シメオン2世陛下(His Majesty King Simeon II of the Bulgarians : 元ブルガリア共和国首相シメオン・サクスコブルクゴツキ氏 : Simeon Saxe-Coburg-Gotha)は従弟ということになります。

 

 (英語)Eurohistory: The Death of Duke Ferdinand Eugen of Württemberg (1925-2020)

 

 (ブルガリア語:ブルガリア王室 公式サイト)Днес, на 95-годишна възраст, се помина първородният внук на Цар Фердинанд – Н. Кр.В. Вюртембергският Херцог ФЕРДИНАНД Ойген Албрехт Мария Йозеф Иван Рилски Филип Аугуст Клеменс Карл Роберт Лудвиг Борис Кирил Франц де Паула. « Н.В. Цар Симеон II

Бог да го прости, по молитвите на Св…. – Н.В. Цар Симеон ІІ | Facebook

 

“ブルガリア王子シメオン=ハッサン殿下”がモロッコ/ラバトのキリスト教/ロシア正教会の大聖堂で領聖を受ける(2018年10月)旧ブルガリア王シメオン2世陛下の女系孫

 ブルガリア王子シメオン=ハッサン殿下(His Royal Highness Prince Simeon-HasanSimeon-Hassan】)が、モロッコ王国ラバトにあるキリスト教/東方正教会/ロシア正教会のハリストス復活大聖堂で、領聖を受けたようです。
※下記公式サイトには“ first communion ”とありますが……「初の領聖」ということでいいんでしょうか。

 

 (英語:ブルガリア王室公式サイト)HRH PRINCE SIMEON-HASAN RECEIVES FIRST COMMUNION IN THE RUSSIAN ORTHODOX TEMPLE “RESURRECTION OF CHRIST” IN RABAT « H.M. King Simeon II

 

Княз Симеон-Хасан е кръстен през м.април… – Н.В. Цар Симеон ІІ | Facebook

 

 シメオン=ハッサン殿下は、2007年生まれで、ブルガリア王女カリナ殿下(ザクセン=コーブルク=ゴータ公女 : ザクセン公女 : ムラニー女伯爵 : Her Royal Highness Princess Kalina of Bulgaria, Princess of Saxe-Coburg and Gotha, Duchess in Saxony, Countess of Murany)と夫のキティン・ムニョス氏(Kitín Muñoz)の子息です。
 旧ブルガリア王シメオン2世陛下(His Majesty King Simeon II of the Bulgarians : 元ブルガリア共和国首相シメオン・サクスコブルクゴツキ氏 : Simeon Saxe-Coburg-Gotha)の女系の孫で、ブルガリアの王子や殿下とはなりませんが、誕生直後より ‘Prince’ として言及されていることがあり、ブルガリア王室公式サイトでは昨年【2017年】と今回の記事で殿下(HRH : His Royal Highness)が使用されています。もはやブルガリア王子と書くよりないと判断したので書きましたが、この件に関して説明や発表などは見かけません。

 なお、シメオン=ハッサンの「ハッサン」は、故モロッコ王ハッサン2世からです。

 

ブルガリアの裁判所が、旧ブルガリア王シメオン2世陛下に対してヴラナ宮殿を政府に“返還”するよう判断(1946年に共産党政権が強制的に接収し、1990年代に憲法裁判所により王室に返還されていた)。陛下と対立している首相の意向を裁判所が丸飲みか。陛下は「またも亡命に追い込まれようとしている」と欧州司法裁判所に提訴を準備(2018年9月)

 ブルガリア語の記事はよくわからなかったので Royal Central の英語の記事になりますが、ここは時々いい加減なことを書くので、注意しつつ情勢を見ていきます。

 

 (英語)Tsar Simeon: “I am being forced into exile again” – Royal Central

 

 Royal Central は完全に旧ブルガリア王シメオン2世陛下(His Majesty King【Tsar】 Simeon II of the Bulgarians : 元ブルガリア共和国首相シメオン・サクスコブルクゴツキSimeon Saxe-Coburg-GothaSimeon Sakskoburggotski)の側を支持しています。

 ヴラナ宮殿は、1946年に共産党政権が強制的に接収し(シメオン2世陛下は亡命)、共産主義政権崩壊後の1990年代に憲法裁判所により王室に返還されていたようです(陛下と姉のブルガリア王女マリヤ・ルイザ殿下(コハーリ女公 : Her Royal Highness Princess Maria Louise of Bulgaria, Princess of Koháry【Fürstin Koháry】)に返還)。
 その後、公園部分がソフィア市に寄贈。
 シメオン2世陛下と旧ブルガリア王妃マルガリータ陛下(Her Majesty The Queen【Tsaritsa】Margarita of the Bulgarians : マルガリータ・サクスコブルクゴツカMargarita Saxe-Coburg-GothaMargarita Sakskoburggotska)が暮らしています。

 憲法裁判所の判断が覆されたとすると、同じく憲法裁判所の判断なのかと思いますが、上記の記事からははっきりしません。

 また同記事によれば、(今のところなぜか名前をはっきり書いていませんが)、ボイコ・ボリソフ首相(Boyko Borisov)の意向を裁判所が丸飲みしたように受け取れます。

 陛下は「またも亡命に追い込まれようとしている」と発言し、欧州司法裁判所への提訴を準備。
 首相の意向を裁判所が丸飲みしたと判断されれば、権力の分立が崩れており、欧州連合の中で問題視される可能性もあります(今の EU にそんなことしている「体力」があるとも思えませんけれど)。

 はたしてどうなることでしょう。

 

関連:
 インタビュー映像:旧ブルガリア王シメオン2世陛下、ヴラナ宮殿所有問題について(2018年10月)

 

旧ブルガリア王シメオン2世陛下が著書のポルトガル版発行を機に同国を訪問。姪のアレクサンドラ・ナデジダ公女やポルトガル大統領と会見(2018年7月)

 旧ブルガリア王シメオン2世陛下(His Majesty King【Tsar】 Simeon II of the Bulgarians : 元ブルガリア共和国首相シメオン・サクスコブルクゴツキSimeon Saxe-Coburg-GothaSimeon Sakskoburggotski)と旧ブルガリア王妃マルガリータ陛下(Her Majesty The Queen【Tsaritsa】Margarita of the Bulgarians : マルガリータ・サクスコブルクゴツカMargarita Saxe-Coburg-GothaMargarita Sakskoburggotska)は、シメオン2世陛下の著書(自伝)のポルトガル版発行を機にポルトガル共和国を訪問しました。

 姪のアレクサンドラ・ナデジダ公女(Princess Aleksandra Nadejda)や、ポルトガル共和国大統領マルセロ・レベロ・デ・ソウザ教授閣下(マルセロ・ヌノ・ドゥアルテ・レベロ・デ・ソウザ大統領 : His Excellency Prof Marcelo Rebelo de Sousa)と会見した模様。

 シメオン2世陛下は、女系でハンガリー貴族の名門コハーリ家の子孫となっていて、その当主的立場にある、とみなされていたか、本人がそう思っていたか、よくわからないのですが、2012年に出た情報によると、コハーリの称号について、姉のブルガリア王女マリヤ・ルイザ殿下(コハーリ女公 : Her Royal Highness Princess Maria Louise of Bulgaria, Princess of Koháry【Fürstin Koháry】)とその二度目の結婚の子孫に譲ったという状況になっているようです。
 アレクサンドラ・ナデジダ公女はマリヤ・ルイザ殿下の二度目の結婚の第一子で、アレクサンドラ・ナデジダ公女の子供も同じく称号付きで言及されていることがあります。

 

 (英語:旧ブルガリア王シメオン2世公式サイト)THE PRESIDENT OF PORTUGAL H.E. MR. MARCELO REBELO DE SOUSA WAS SPECIAL GUEST TO THE PREMIERE OF THE AUTOBIOGRAPHICAL BOOK OF KING SIMEON IN PORTUGESE « H.M. King Simeon II