秋篠宮家の悠仁親王殿下が お茶の水女子大学附属小学校 を卒業。翌日、昭和天皇陵などを参拝(2019年3月)

 2019年3月15日、秋篠宮家の悠仁親王殿下(ひさひと : His Imperial Highness Prince Hisahito of Akishino)は、お茶の水女子大学附属小学校を卒業しました。お茶の水女子大学附属中学校に進学します。

 翌2019年3月16日、悠仁親王殿下は、紀子妃殿下(きこKiko : Her Imperial Highness The Princess Akishino)と共に武蔵陵墓地【多摩御陵】を訪問。
 小学校卒業報告のために、 昭和天皇陵【武藏野陵】 及び 香淳皇后陵【武藏野東陵】 を参拝したようです。

 

ANNnewsCH(ANN NEWS):
悠仁さま小学校を卒業 年の離れた姉2人に見守られ(19/03/15) – YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=e5CG6MPUS_Y

 

ANNnewsCH(ANN NEWS):
悠仁さま 「武蔵野陵」参拝 小学校卒業を報告(19/03/16) – YouTube

 

 秋篠宮悠仁さま きょう小学校を卒業 | NHKニュース
 悠仁さま 卒業記念文集の作文【全文】 | NHKニュース

 悠仁さま、小学校卒業=大声で「はい」、証書受け取り:時事ドットコム
 悠仁さま、武蔵野陵を参拝=小学校卒業で:時事ドットコム

 

 報道動画を見てて思いだしたんですが、学校での呼称が「秋篠宮悠仁(あきしののみや ひさひと)」になっているので、秋篠宮殿下(文仁親王 : ふみひと : Prince Fumihito : His Imperial Highness The Prince Akishino)が皇嗣となった後に秋篠宮家を消滅させるなどしてしまうと、学校での呼称が変わってしまう可能性があるわけですね。結局、秋篠宮家はそのままなので、殿下の学校での呼称もそのままでしょう(ただし在学中に文仁親王殿下の即位があった場合はその限りではありません)。

 

関連:
 皇太子(徳仁親王)殿下即位後の秋篠宮(文仁親王)殿下の(日本語の)呼称は「秋篠宮皇嗣殿下(あきしののみやこうしでんか)」となる模様(2019年3月)一般報道では「秋篠宮さま」「皇嗣さま」「秋篠宮皇嗣さま」のどれになるのか。あと英語はどうするんです??

 

続報:
 秋篠宮家の悠仁親王殿下が お茶の水女子大学付属中学校 に入学(2019年4月)

 

スウェーデン王カール16世グスタフ陛下夫妻らが晩餐会に臨席(2019年3月)

 2019年3月14日、スウェーデン王カール16世グスタフ陛下(Carl XVI Gustaf of Sweden : His Majesty The King)とスウェーデン王妃シルヴィア陛下(シルビア王妃 : Queen Silvia of Sweden : Her Majesty The Queen)は、議会関係者・政府関係者らが参列する晩餐会に臨席しました。

 

Kungahuset(スウェーデン王室公式チャンネル):
Kungaparet gav riksdagssupé – YouTube

 

 (スウェーデン語:スウェーデン王室公式サイト)Kungaparet gav riksdagssupé – Sveriges Kungahus

 

 スウェーデン皇太子ヴィクトリア殿下(ヴェステルイェートランド女公爵 : Victoria : Her Royal Highness The Crown Princess of Sweden, Duchess of Västergötland)と夫のスウェーデン王子ダニエル殿下(ヴェステルイェートランド公爵 : His Royal Highness Prince Daniel of Sweden, Duke of Västergötland)
 スウェーデン王子カール・フィリップ殿下(ヴェルムランド公爵 : His Royal Highness Prince Carl Philip of Sweden, Duke of Värmland)とスウェーデン王子妃ソフィア殿下(ヴェルムランド公爵夫人 : Her Royal Highness Princess Sofia of Sweden, Duchess of Värmland)
 も同席

 

皇太子(徳仁親王)殿下即位後の秋篠宮(文仁親王)殿下の(日本語の)呼称は「秋篠宮皇嗣殿下(あきしののみやこうしでんか)」となる模様(2019年3月)一般報道では「秋篠宮さま」「皇嗣さま」「秋篠宮皇嗣さま」のどれになるのか。あと英語はどうするんです??

 2019年3月11日、宮内庁は皇太子(徳仁親王)殿下即位後の秋篠宮殿下(文仁親王 : ふみひと : Prince Fumihito : His Imperial Highness The Prince Akishino)の呼称は「秋篠宮皇嗣殿下(あきしののみや こうし でんか)」となると発表したようです。

 

 正式呼称は「秋篠宮皇嗣殿下」=宮内庁:時事ドットコム

皇位継承順位1位の皇嗣であると同時に、秋篠宮家の当主でもあることを明確にするため

ご夫妻での呼称は「秋篠宮皇嗣同妃両殿下」、紀子さま単独の場合は「秋篠宮皇嗣妃殿下」とし、場合によっては「秋篠宮殿下」や「皇嗣殿下」なども使う

お子さま3人の呼び方も変わらない

 

 秋篠宮さまの新呼称「秋篠宮皇嗣殿下」に | NHKニュース

 

 とりあえず秋篠宮家が消滅したりしないことなどはわかって、それはそれでよいのですが、報道関係者は「秋篠宮さま」のままか「皇嗣さま」にするか「秋篠宮皇嗣さま」にするか考えねばならず、これだから宮内庁はとあきれているのではないでしょうか。
 「秋篠宮さま」にすれば「皇嗣になったということをないがしろにしている!」といわれ、「皇嗣さま」にすれば「誰?」といわれ、「秋篠宮皇嗣さま」にすれば「長い!」といわれるでしょう。報道というものもつらいものです
 結果いつも通りの横並びで同じ呼称になるかどうかも注目といえば注目ですが、こんなことを注目しないといけないのも、なんだかなあという気がします。

 

 そして英語ではどうなるのか。
 そもそも皇室成員の英語での表記は、日本語と厳密に一対一になるように考えられているとも思えない状態なのですが、英語では「皇嗣」は、通常「皇太子」を示す「クラウン・プリンス(Crown Prince)」になると発表されています。

関連:
 天皇(明仁)陛下退位後の英語表記の称号が決まっていた模様:上皇【エンペラー・エメリトゥス(Emperor Emeritus)】、上皇后【エンプレス・エメリタ(Empress Emerita)】、皇嗣【クラウン・プリンス(Crown Prince)】(2019年2月)

皇嗣殿下 Koshi Denka, His Imperial Highness the Crown Prince

 今回の決定を受けて、これが英語にも反映されるとすると、「His Imperial Highness the Crown Prince, Prince Akishino」などと追記することになるかもしれませんが、追記するかどうかはわかりません。
 しかし追記しない場合、例えば眞子内親王殿下の英語表記は「Her Imperial Highness Princess Mako of Akishino」なので、「Akishino ? What’s ?」という疑問に説明をせねばならなくなるでしょう。

 老婆心ながら、秋篠宮家が存続するのはそれはそれとして、名称としては使わないほうがすっきりして世界中がわかりやすくなったと思います。

 しかし、秋篠宮家存続を前面に出すことになんらかの意味合いがあるとすれば(推測できるその理由については述べませんが)、この決定もしょうがないのかもしれません。

 

ルーマニア王カロル2世の再埋葬とそれに伴う礼拝(葬儀)など(2019年3月)ラドゥ王子殿下、ソフィア王女殿下、マリア王女殿下、”元ルーマニア王子”ニコラエ・メドフォース=ミルズ氏夫妻、“称ルーマニア王子”パウル・ホーエンツォレルン氏一家らが参列

 2019年3月8日~3月9日にかけて、ルーマニア王カロル2世陛下(Carol II of Romania)の葬儀・再埋葬などがおこなわれました。

 ルーマニア王カロル2世ですが、王位を手放し出国後、ポルトガル共和国のエストリルで崩御し、同地で埋葬されました。
 その後、ルーマニアに棺が戻され再埋葬がおこなわれましたが、王陵であるクルテア・デ・アルジェシュ大聖堂ではなくその外のクルテア・デ・アルジェシュ修道院におこなわれています。

 今回のさらなる再埋葬の件ですが、キリスト教/東方正教会/ルーマニア正教会の聖職者らが、王は代々の王陵に埋葬されることが望ましいという見解を述べていたことや、孫で現在のルーマニア王室当主/ルーマニア王位守護者マルガレータ陛下(Her Majesty Margareta, the Custodian of the Crown of Romania : ルーマニア皇太子マルガレータ殿下 : Her Royal Highness Crown Princess Margareta of Romania)は、おそらくそのようなことを積極的に望んではいなかっただろうこと(カロル2世の息子で、マルガレータ陛下の亡父である旧ルーマニア王ミハイ1世陛下はカロル2世とは会おうとせず、当時の再埋葬にも臨席せず)。そして、カロル2世の年長系統の男系の孫の“ルーマニア王子パウル殿下”にはこのような要望はあるでしょうが、2015年の違法な不動産取引の件以降、もともと大きくなかった発言権はほぼゼロになっており(公式サイトも消滅しました)、まとめるとルーマニア正教会主導の出来事なのではないかと思います。

 礼拝はルーマニア正教会の、
 トゥルゴヴィシュテ大主教ニフォン座下(個人の称号として府主教 : His Eminence Hon Metropolitan Nifon, Archbishop of Targoviste)、
 アルジェシュ・ムスチェル大主教カリニク座下(His Eminence Archbishop Calinic of Argeș and Muscel)
 ヴルチャ大主教ヴァルサヌフィエ座下(His Eminence Archbishop Varsanufie of Vâlcea)、
 らが執り行いました。

 

TRINITAS TV:
Osemintele regelui Carol al II-lea au fost așezate în noua catedrală regală – YouTube

 

短い映像/
CasaRegalaaRomaniei(ルーマニア王室公式チャンネル):
Ceremonia funerară Carol al II-lea, prima seară – YouTube

 

途中から切れる映像(削除されるかもしれません)/
CasaRegalaaRomaniei(ルーマニア王室公式チャンネル):
Regele Carol al II-lea înmormântat la Curtea de Argeș – YouTube

 

 以下、動画より主な参列者。

左から、ラドゥ王子殿下、ソフィア王女殿下、マリア王女殿下、ニコラエ氏:

 

左から、ラドゥ王子殿下、ソフィア王女殿下、マリア王女殿下、ニコラエ氏夫妻:

 

パウル・ホーエンツォレルン氏一家:

 

 参列者ですが、マルガレータ陛下の名代として、夫のルーマニア王子ラドゥ殿下(His Royal Highness Prince Radu of Romania)、妹のルーマニア王女ソフィア殿下(Her Royal Highness Princess Sophia of Romania)、妹のルーマニア王女マリア殿下(Her Royal Highness Princess Maria【Marie】 of Romania)が参列しています。
 一方、マルガレータ陛下及びすぐ下の妹で王位継承順位第1位のエレーナ王女殿下は参列していません。エレーナ王女殿下の子息ながら、一度与えられた「ルーマニア王子」の称号と「殿下」の敬称、そしてルーマニア王位継承権を剥奪された”元ルーマニア王子”のニコラエ・メドフォース=ミルズ氏(Nicolae Medforth-Millsニコラス・メドフォース=ミルズ氏 : Nicholas Medforth-Mills)とアリナ夫人は参列していますが、今のところの継承順位では将来的に王室当主となることになるエリサベタ・カリナ・デ・ロムニエ・メドフォース=ミルズ嬢(Elisabeta Karina de Roumanie Medforth-Mills)は参列していません。
 そして、ルーマニア王室公式ニュース配信サイト掲載の写真では、なるべくニコラエ氏をのせないように写真を選んでいるようにも思え、同王室は今後どうしたいのかと首をかしげる次第(いつものことですが)。

 そして、ルーマニア王子パウル殿下(ポール王子 : His Royal Highness Prince Paul of Romania)を称するパウル・ホーエンツォレルン氏(パウル=フィリップ・ホーエンツォレルンPaul-Philippe Hohenzollernパウル・ランブリノPaul Lambrino)とリア夫人、子息のカロル・フェルディナンド・ホーエンツォレルンCarol Ferdinand Hohenzollern)が、カロル2世の孫夫妻及び曾孫として参列しています。
 カロル2世は、父フェルディナンド1世らに内密で1回目の結婚をし、その間に生まれたのが故カロル・ランブリノ氏で、パウル氏はその長男です。この結婚は強制的に無効化されましたが、数十年後に各国の裁判所が有効と認め(ただしこれは生まれた子供へルーマニア王室に関する権利を認めたわけではありません)、またルーマニア正教会の教会法上合法な結婚であったことから教会内部に立場を支持する主教らも存在しました。
 故カロル氏は自らの出自に関する承認を求めたわけですが、一方子息のパウル氏は、自らがルーマニア王室当主と称するようになります。この主張に関しては細かいところで一定していませんでした。王室当主は自分ただ一人とする場合と、叔父である故ルーマニア王ミハイ1世陛下が王位についていたことは事実であることから王室当主の座は二つあると称する場合とがありました。
 教会内部以外にもその主張を支持する人々もいたのですが、上述した通り、2015年に違法な不動産取引で自宅軟禁に置かれ、以後ふるわない状態です。
 なお、妻のリア夫人との間に今回同席した子息がいるわけですが、リア夫人の生年の情報が誤りでなければ60歳での出産ということになり、なんといいますか、疑問視する意見もあります。

 

 (ルーマニア語:ルーマニア正教会通信)„Un act de recuperare istorică și comemorare liturgică”: Regele Carol al II-lea reînhumat alături de fiul său – Basilica.ro
 (ルーマニア語:ルーマニア正教会通信)Mesajul Înaltpreasfințitului Părinte Mitropolit Nifon la reînhumarea Regelui Carol al II-lea (Integral) – Basilica.ro

 (ルーマニア語:ルーマニア王室公式ニュース配信サイト)Ceremonia funerară a Regelui Carol al II-lea | Familia Regală a României / Royal Family of Romania

 

Basilica.roさんのツイート: "Regele Carol al II-lea a murit în exil, în Portugalia, pe 4 aprilie 1953 şi este singurul Rege al României care a fost înhumat până acum în afara unei biserici. https://t.co/2A4CJMUKdM"

 

Basilica.roさんのツイート: "„Mutarea sicriului cu osemintele Regelui Carol al II-lea dintr-o capelă izolată și așezarea acestuia în noua Catedrală Arhiepiscopală şi Regală de la Curtea de Argeș reprezintă un moment de recuperare istorică şi de integrare în tradiția monarhică… https://t.co/DWLkEAZznL"

 

Familia Regalăさんのツイート: "Ceremonia înmormântării Regelui Carol al II-lea la Curtea de Argeș https://t.co/OAVCzqH8XF… "
https://twitter.com/casamsregelui/status/1104391379696959488

 

Familia Regală a României (@familiaregalaaromaniei) • Instagram photos and videos

 

Familia Regală a României (@familiaregalaaromaniei) • Instagram photos and videos

 

訃報(2019年1月?):ジョージア王女【グルジア王女】ダリ殿下、薨去(1942【1939?】~2019)

 グルジンスキー系ジョージア王室【グルジア王室】の公式 Facebook アカウントによりますと、ジョージア王女ダリ殿下(Her Royal Highness Princess Dali of Georgia : ダリ・バグラチオン=グルジンスキー公女 : Prince Dali Bagration-Gruzinskyダリ・バグラチオニ=グルジンスキー公女 : Princess Dali Bagrationi-Gruzinskiダリ・ペトロヴナ・バグラチオン=グルジンスカヤDali Petrovna Bagration-Gruzinskaya)が薨去したようです。

 グルジンスキー系ジョージア王室【グルジア王室】当主/ジョージア皇太子ヌグザル殿下(His Royal Highness Crown Prince Nugzar of Georgia : ヌグザル・バグラチオン=グルジンスキー公子 : Prince Nugzar Bagration-Gruzinskyヌグザル・バグラチオニ=グルジンスキー公子 : Prince Nugzar Bagrationi-GruzinskiBatonishviliTsarevich)の姉です。

 

საქართველოს სამეფო სახლი მწუხარებით… – The Royal House of Georgia საქართველოს სამეფო სახლი | Facebook

 

 2019年1月に告知されていますが、細かい日付は不明。
 また、同殿下の誕生などについては、上記の Facebook アカウントでは1942年生まれとなりそうですが、以前からの情報では1939年10月17日生まれというものがあります。

 男子優先長幼制のジョージア王位継承順位第8位でした(ヌグザル殿下の一番新しい見解では、当主は継嗣を自由に指名できるということになっています)。