訃報(2019年6月3日):ロイス公子妃ヴォイツラヴァ・フェオドラ殿下(メクレンブルク公女)、薨去(1918~2019)バルト連合公国君主に推されたメクレンブルク公子アドルフ・フリードリヒ殿下の娘。薨去に伴いメクレンブルク=シュヴェリーン系統は男系女子二人を残すのみに

 2019年6月3日、ロイス公子妃ヴォイツラヴァ・フェオドラ殿下(メクレンブルク公女 : Her Highness Princess Woizlawa Feodora Reuss, Duchess of Mecklenburg : ヴォイツラヴァ・フェオドラ・プリンツェッシン・ロイス、ヘルツォーギン・ツー・メクレンブルクWoizlawa Feodora Prinzessin Reuß, Herzogin zu Mecklenburg)が薨去した模様です。
 1918年12月17日生まれの100歳。

 父はメクレンブルク=シュヴェリーン大公室のメクレンブルク公子アドルフ・フリードリヒ殿下(His Highness Duke Adolf Friedrich of Mecklenburg)で、母はロイス公女ヴィクトリア・フェオドラ殿下(Her Serene Highness Princess Viktoria Feodora Reuss)。
 アドルフ・フリードリヒ殿下は第一次世界大戦時に、創設が計画されていたバルト連合公国君主に推されていました。

 1939年に故ロイス(=ケストリッツ)公子ハインリヒ1世殿下と結婚しており、子孫が存在。
※ロイス家の男子はハインリヒ●世となるのが通常のため、上記のハインリヒ1世も君主・当主ではありません。

 

 薨去に伴い、メクレンブルク=シュヴェリーン家の男系は女子二人を残すのみとなりました。
追記:
 葬儀にフリーダ・ツー・メクレンブルクFrieda zu Mecklenburg)というトーゴ出身の女性が参列しているという話です。
 故アドルフ・フリードリヒ殿下に婚姻外の子供(婚外子)の男子(フルネーム不明)がいたようで、その娘のようです。故ヴォイツラヴァ・フェオドラ殿下の姪ということになり、身内として扱われていたようです。

 メクレンブルク=シュトレーリッツ家の貴賤結婚の子孫が現在その権利や称号(本人の主張を見る限りではシュトレーリッツに関するもののみ)を主張していますが、もっとも厳格な判断では、すでに(貴賤結婚の子孫を除いて)男系男子が存在しないメクレンブルク家は消滅しています。

 

 (英語:メクレンブルク=シュトレーリッツ家公式サイト)Death of Duchess Woizlawa Feodora of Mecklenburg-Schwerin – House of Mecklenburg-Strelitz

 (ドイツ語)Strittmatt: Eine Prinzessin stirbt im Hotzenwald | SÜDKURIER Online
 (ドイツ語)Gedenkseite von Woizlawa Feodora Prinzessin Reuß Herzogin zu Mecklenburg | trauer.mittelhessen.de
 (ドイツ語)Die letzte Geraer Prinzessin ist tot – Gotha | Thüringer Allgemeine

 

Haus Mecklenburg-Strelitzさんのツイート: "Gedenkseite von Woizlawa Feodora Prinzessin Reuß Herzogin zu Mecklenburg https://t.co/UTpA0i6QbG… "

 

Haus Mecklenburg-Strelitzさんのツイート: "Eine Prinzessin stirbt im Hotzenwald. Woizlawa-Feodora Prinzessin Reuß stirbt im Alter von 100 Jahren. Sie war eine der letzten lebenden Angehörigen des Hauses Mecklenburg-Schwerin. https://t.co/WGXJrfwbO4"

 

Yesterday Her Highness Duchess Woizlawa… – Das Großherzogliche Haus Mecklenburg-Strelitz | Facebook

 

Das Großherzogliche Haus… – Das Großherzogliche Haus Mecklenburg-Strelitz | Facebook

 

関連:
 子息がクーデター計画で逮捕/
 ロイス公子 ハインリヒ13世 殿下らが、ドイツでクーデターを計画したとして逮捕(2022年12月)

訃報(2018年7月23日):メクレンブルク公子カール・グレゴール殿下、薨去(1933~2018)

 2018年7月23日、メクレンブルク公子カール・グレゴール殿下(His Highness Duke Carl Gregor【Karl Gregor】 of Mecklenburg : カール・グレゴール・ヘルツォーク・ツー・メクレンブルクCarl Gregor Herzog zu Mecklenburg)が薨去した模様です。
 1933年3月14日生まれの85歳。

 

 (英語)News – Death of Duke Carl Gregor | House of Mecklenburg-Strelitz

 (ドイツ語)In Remplin geborener Herzog zu Mecklenburg gestorben – WELT
 (ドイツ語)Nachruf: Mecklenburgischer Prinz in Baden-Württemberg verstorben | Uckermarkkurier.de
 (ドイツ語)Hechingen: Der trommelnde „Jazz-Herzog“ ist tot | Südwest Presse Online
 (ドイツ語)Traueranzeige von Carl Gregor Hetzog zu Mecklenburg | schwaebische.de Trauerportal

 

 メクレンブルク=シュトレーリッツ大公室の貴賤結婚の子孫で、現在この系統が権利を回復して大公室を形成していると見られています。
 が、カール・グレゴール殿下の父ゲオルク・アレクサンダー殿下は、メクレンブルクの称号や敬称は認められたものの大公室の一員としては認められていなかったとする主張もあり(というか大公室の一員として認められたとする根拠が特にない)、その場合メクレンブルク家の男系男子は消滅し、メクレンブルク=シュトレーリッツ大公位およびメクレンブルク=シュヴェリーン大公位の権利は、ホーエンツォレルン家当主/プロイセン王室当主のゲオルク・フリードリヒ殿下にあるとされることが多いようです。

 また、シュトレーリッツ系統の主張を認めた場合、全メクレンブルクの権利が当主のボルヴィン殿下にあることになりますが、現状ではメクレンブルク=シュヴェリーン系統の家産などはシュヴェリーン系統長系の男系女子メクレンブルク公女ドナータ殿下(Her Highness Duchess Donata of Mecklenburg)が管理しているとみられており、またドナータ殿下は子息にメクレンブルクの家祖またはその父とされている人物の名前を付けるなど、将来子息を当主とする気を隠そうとしていないように見受けられます。