誕生(2019年2月8日):オルレアン公女マリー・アメリー殿下【オルレアン派フランス王室】

 2019年2月8日、オルレアン派フランス王室に、オルレアン公女マリー・アメリー殿下(Her Royal Highness Princess Marie Amélie of Orleans)が誕生したようです。
 ドルー伯爵/オルレアン公子フランソワ殿下とテレーザ妃殿下の第二子・長女となります。

 

Notre famille a accueilli hier une… – Le prince Jean de France | Facebook

 

 (サイト移転により記事の掲載が終了しています)(フランス語)Nouvelle naissance chez le comte et la comtesse de Dreux – Le blog de La Couronne
掲載時URL:https://www.la-couronne.org/actualite-royale/nouvelle-naissance-chez-le-comte-et-la-comtesse-de-dreux/

 (ドイツ語)Theresa von Einsiedel + François d'Orléans sind wieder Eltern geworden | GALA.de

 

 誕生地がスペインのパルマ・デ・マジョルカということです。
 両殿下の、パリ伯アンリ(7世)殿下(1月21日薨去)の葬儀の欠礼はこのためだったのではないかという観測。

 

訃報(2019年2月15日):エチオピア皇子妃サラ・ギザウ殿下が薨去の模様(1929~2019)

 2019年2月15日、(旧)エチオピア帝室の、ハラール公爵夫人(未亡人)/エチオピア皇子妃サラ・ギザウ殿下(Her Imperial Highness Princess Sara Gizaw, 【Dowager】 Duchess of Harrar)が薨去したという情報が出ています。
 1929年生まれの90歳。

 同殿下は、故マコンネン皇子殿下の未亡人。マコンネン皇子殿下は故ハイレ・セラシエ1世陛下の子息です。

 

 (英語)Ethiopian Royal Family member Princess Sara Gizaw dies at 90
borkenaさんのツイート: "Ethiopian Royal Family member Prince Sara Gizaw dies at 90. https://t.co/3ZEZdSh5Op #PrinceSaraGizaw #Ethiopia #haileselassie"

 

 (英語)Princess Sara Gizaw – Dowager Duchess of Harrar Laid to Rest – News | Orthodoxy Cognate PAGE

 

 葬儀には、キリスト教/オリエント正教会/エチオピア正教会の首座/エチオピア総主教・カトリコス“アブネ”・マティアス1世聖下(His Holiness Abune Mathias I, Patriarch and Catholicos of Ethiopia)が臨席。

 

 サラ・ギザウ妃殿下は、(王室関連では)オランダのオランニェ家騎士団の大十字騎士(デイム・グランド・クラス)、スウェーデンの王立熾天使騎士団【ロイヤル・セラフィム勲章】メンバー(ナンバー728)、に叙されていたようです。

 

ガーナ:アナン(元)国連事務総長閣下の国葬に、オランダのベアトリクス前女王陛下(王女殿下)とメイベル妃殿下、ノルウェー皇太子妃メッテ=マリット殿下が臨席(2018年9月)棺が国旗に覆われ遺体の顔すら公開されなかったので議論に「彼は『黄金の剣』だから」説も

 2018年9月13日、ガーナ共和国政府主催で2018年8月18日に薨去した国際連合第7代事務総長コフィー・アナン閣下(His Excellency Mr【Dr?】 Kofi Annan)閣下の国葬がおこなわれたようです。

 西欧の王室からは、
 前オランダ女王ベアトリクス陛下(オランダ王女ベアトリクス殿下、オランニェ=ナッサウ公女、リッペ=ビースターフェルト公女 : Her Royal Highness Princess Beatrix of the Netherlands, Princess of Orange-Nassau, Princess of Lippe-Biesterfeld)、
 オランニェ=ナッサウ公子妃メイベル殿下(Her Royal Highness Princess Mabel of Orange-Nassau)、
 ノルウェー皇太子妃メッテ=マリット殿下(Crown Princess Mette-Marit of Norway : Her Royal Highness The Crown Princess)、
 が臨席したようです。

追記:
 モロッコ王国から、モロッコ王モハメッド6世陛下の代理として、“ムーレイ”・ラシッド王子殿下(His Royal Highness Prince Moulay Rachid)が参列した模様。
 (英語)Morocco- Prince Moulay Rachid Represents King Mohammed VI at Kofi Annan Funeral | MENAFN.COM
 (フランス語)SAR le Prince Moulay Rachid représente SM le Roi aux funérailles de Kofi Annan | MAP

 

 (写真一覧)Former UN Sec. Gen. Kofi Annan state funeral in Accra, Ghana – 13 Sep 2018 | Editorial Photos, Celebrity, News, & Sports Images | Rex

 

 (特にめぼしい情報なし)アナン元国連事務総長の国葬 ガーナ | NHKニュース

 

 なお、葬儀中、棺がずっと国旗に覆われていて、遺体の公開が顔すらもなかったことが、同地のSNSで話題になったようです。

 (英語)Ghanaians angry that they were not allowed to view Kofi Annan’s body :: Kenya – The Standard
※↑の記事では見出しがいかにもガーナ人が怒っているかのようですが、今までガーナの記事を読んできた経験からすると、ことはそんな簡単な問題ではないと思います。

 これについてのSNSでのやり取りの画像がコピペされており(しかもその内容の意味をはっきり解説していない!)、

What does mean? School me?

Busummuru is one of the state swords of Asante.
Only the Busummuruhene and Asantehene are allowed to hold it.
Woman are not supposed to look at it.
It is a symbol of authority.
So he with that title means he is by the order of the Busummuru.

「なんで? 教えて?」
「ブスムルはアシャンティの剣の一つ
 ブスムル首長とアシャンティ王のみが握ることが許される。
 女はそれを見ることは禁止されている。
 権威の象徴なのだ。
 だから彼がブスムルの称号を帯びていることは、ブスムルのように扱われるということだ」

 ……と事情を知らない人にはなんの回答にもなっていない文章が入っています。

 これを簡単にいうとこういうことでしょう。
 コフィー・アナン閣下は、2002年にアシャンティ王オトゥムフォ・オセイ・トゥトゥ2世陛下(アシャンティ皇帝 : His Royal Majesty Otumfuo Osei Tutu II, King【Emperor】 of the Ashanti Kingdom【Empire of Ashanti】【Asantehene of Asante】, Kumasehene of Kumasi)より神聖なる黄金の剣の名前を称号として受けています。この称号はアナン閣下以外誰も受けたことがないものです。
 その剣の名前が「ブスムル」(上記の文章では Busummuru となっていますが、これまでの報道などでは「Busumuru」ないし「Busumro」)です。上の「Busummuruhene」とブスムルの末尾に「-hene」を付ける表記は初めて見ましたが、これは王や首長の称号を表しており、とりあえず「ブスムル首長」としておきました。
 そして、上の文章が正しいとすると、黄金の剣「ブスムル」は女が見ることは許されないものだということになり、だから「ブスムル」の称号を受けているアナン閣下の遺体を女がいる場で公開することはできないのだ、という二歩くらい跳躍がある理論が展開されているのだと思います。
 死後に称号をもらったならともかく、2002年にもらってそれからずっとアナン閣下は女と会っていないわけでもあるまいし……とを指摘するのは簡単ですが、しかしアシャンティにおける死者というものがどういう扱いを受けるものかは知らない我々には、正否は判断できないわけです。例えば、花の名前を付けてもらったら死後には花と同じに扱われる場所が地球のどこかにあったりしてもおかしくはないですし。

 ……とやや強引に受け入れてみたものの、アシャンティ王の戴冠式で「ブスムル」は使用されるわけで、戴冠式には女はこれまで来ていないのか?、という疑問も生じます。
 また、「ブスムル」と同じとして扱われるということは、牛の血で汚してはならないことを意味し、つまり棺を運んだ人たちはしばらく前から牛肉を食べていない、ということになります。

 このようにアナン閣下は(?)妙な謎を残してこの世を去るわけですが、しかし、アシャンティ王国のほうでまた別の伝統的葬礼がおこなわれるかもしれないという話もあります。そこで堂々と遺体が公開されでもしたら、「ブスムル説」は完全に破綻します。

 

訃報(2018年6月19日):デンマーク王女エリサベト殿下、薨去(1935~2018)

 2018年6月19日、デンマーク王女エリサベト殿下(Her Highness Princess Elisabeth of Denmark)が薨去しました。
 1935年5月8日生まれの83歳。
 薨去時までデンマーク王位継承順位に並んでいました。

 

 (英語:デンマーク王室公式サイト)Princess Elisabeth of Denmark | The Danish Monarchy – Front Page
 (葬儀時の写真数枚:デンマーク語:デンマーク王室公式サイト)Prinsesse Elisabeths bisættelse | Kongehuset

 

 葬儀の参列者には、

  • デンマーク女王マルグレーテ2世陛下(Margrethe II of Denmark : Her Majesty The Queen)
  • デンマーク王女ベネディクテ殿下(Her Royal Highness Princess Benedikte of Denmark : ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルク公妃【未亡人】 : Princess of Sayn-Wittgenstein-Berleburg)
  • デンマーク王女/旧ギリシャ王妃アンナ=マリア陛下(Anne-Marie : Her Majesty The Queen of the Hellenes, Princess of Denmark)
  • 兄のローセンボー伯爵インゴルフ閣下(元デンマーク王子 : His Excellency Ingolf, Count of Rosenborg)とローセンボー伯爵夫人スージー・ヒョーホイ閣下(Her Excellency Sussie Hjorhøy, Countess of Rosenborg)

 といった方々の名前が並んでいます。

 

訃報(2018年3月6日)シェンク・フォン・シュタウフェンベルク伯爵女マリー=ガブリエル、薨去(1914~2018)ヒトラー暗殺計画のクラウス・フォン・シュタウフェンベルクの従兄の子で、事件後に収容される

 2018年3月6日、シェンク・フォン・シュタウフェンベルク伯爵女マリー・ガブリエル(Countess Marie-Gabriele Schenk von Stuaffenberg : マリー=ガブリエル・シェンク・グレフィン・フォン・シュタウフェンベルクMarie-Gabriele Schenk Gräfin von Stauffenberg)が、ドイツ連邦共和国バイエルンのイェッティンゲン=シェパッハで薨去したようです。
 1914年7月18日生まれの103歳。

 長い歴史を持つシェンク・フォン・シュタウフェンベルク家のアーメルディンゲン系のうち、バイエルンで伯爵位をえた系統の一員。

 父の従弟が、第二次世界大戦中にアドルフ・ヒトラーAdolf Hitler)暗殺を計画したシェンク・フォン・シュタウフェンベルク伯爵子クラウス(Count Claus Schenk von Stuaffenberg : クラウス・シェンク・グラーフ・フォン・シュタウフェンベルクClaus Schenk Graf von Stauffenberg)で、マリー・ガブリエル伯爵女も事件後に大戦終了まで収容されていたようです。

 

 (ドイツ語)Nachruf: Gräfin von Stauffenberg mit 103 Jahren gestorben – Nachrichten Günzburg – Augsburger Allgemeine

 

追加リンク:
 (ドイツ語:葬儀に関する記事)Jettingen-Scheppach: Gräfin von Stauffenberg: Abschied von einer Zeitzeugin – Nachrichten Günzburg – Augsburger Allgemeine