(旧)エチオピア帝室のエルミアス・サーレ=セラシエ皇子殿下が、崩御した南アフリカ伝統的君主/ズールー王グッドウィル・ズウェリティニ陛下への弔意を表明(2021年3月)

 エチオピア帝室評議会議長のエルミアス・サーレ=セラシエ・ハイレ=セラシエ皇子殿下(His Imperial Highness Prince Ermias Sahle-Selassie Haile-Selassie, President of the Crown Council of Ethiopia)が、崩御した南アフリカ共和国の伝統的君主/ズールー王グッドウィル・ズウェリティニ陛下(His Majesty King Goodwill Zwelithini of Zulu)への弔意を表明しています。

 

Ethiopian CrownさんはTwitterを使っています 「It was with profound sadness that we learned that His Majesty King Goodwill Zwelethini is no longer with us. Herein is an important statement from the Crown Council of Ethiopia. https://t.co/CUqUVQoSlb」 / Twitter

 

 

The Crown Council of Ethiopia(@ethiopiancrown) • Instagram写真と動画

ウガンダ伝統的君主/トロ王ルキディ4世陛下が、崩御した南アフリカ伝統的君主/ズールー王グッドウィル・ズウェリティニ陛下への弔意を表明(2021年3月)

 ウガンダ共和国の伝統的君主の一人/トロ王“ルキラバサイジャ”・“オヨ・ニンバ”・カバンバ・イグル・ルキデイ4世陛下(Rukirabasaija Oyo Nyimba Kabamba Iguru Rukidi IV, The Omukama of Tooro : オムカマ)が、崩御した南アフリカ共和国の伝統的君主/ズールー王グッドウィル・ズウェリティニ陛下(His Majesty King Goodwill Zwelithini of Zulu)への弔意を表明しています。

 

His Majesty King Oyo of Tooro KingdomさんはTwitterを使っています 「I am saddened by the passing of King Goodwill Zwelithini, a great champion of African culture and traditions. King Zwelithini was a shining symbol of hope and unity. Tooro Kingdom stands with the Royal Family and People of Zulu Nation during this trying time. #RIPKingZwelithini https://t.co/F2DG1ZfEg6」 / Twitter

1歳(2021年3月19日):ブータンのジグミ・ウゲン・ワンチュク王子殿下が1歳を迎える。ブータン王ジグミ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク陛下夫妻の第二子・次男

 2021年3月19日、ブータンのジグミ・ウゲン・ワンチュク王子殿下(His Royal Highness Prince Jigme Ugyen Wangchuck)が1歳を迎えました。

 

His Majesty King Jigme Khesar(@kingjigmekhesar) • Instagram写真と動画

※同王子は、ウゲン・ワンチュク王子殿下(His Royal Highness Gyalsey Ugyen Wangchuck)と表記されます。

イタリア王室(直系)当主/サヴォイア公・ナポリ公ヴィットーリオ・エマヌエーレ殿下が、イタリア統一160周年のメッセージ(2021年3月)

 1861年3月17日に、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世がイタリア王であると宣言されてから160周年ということで、イタリア王室当主のサヴォイア公・ナポリ公ヴィットーリオ・エマヌエーレ殿下(His Royal Highness Prince Vittorio Emanuele of Savoy, Duke of Savoy, Prince of Naples)がメッセージを出しています。

 

 (英語)MESSAGE FROM H.R.H. PRINCE VITTORIO EMANUELE OF SAVOY, DUKE OF SAVOY, PRINCE OF NAPLES, ON THE OCCASION OF THE 160TH ANNIVERSARY OF THE PROCLAMATION OF THE KINGDOM OF ITALY – Ordini Dinastici della Real Casa di Savoia
 (イタリア語)MESSAGGIO DI S.A.R. IL PRINCIPE VITTORIO EMANUELE DI SAVOIA, DUCA DI SAVOIA, PRINCIPE DI NAPOLI, IN OCCASIONE DEL 160° ANNIVERSARIO DELLA PROCLAMAZIONE DEL REGNO D’ITALIA – Ordini Dinastici della Real Casa di Savoia

 

 

Ordini DinasticiはInstagramを利用しています:「[RICORRENZE] 17 marzo 1861 – Proclamazione Regno d’Italia Il 17 Marzo 1861, con la Legge n° 4761 (poi trasformata in Legge 21 Aprile 1861,…」

 

 また、息子で継嗣のヴェネツィア公/ピエモンテ公/サヴォイア公子エマヌエーレ・フィリベルト殿下(His Royal Highness Prince Emanuele Filiberto of Savoy, Prince of Venice and Piedmont)も、 Twitter で少しだけコメントしています。

Emanuele FilibertoさんはTwitterを使っています 「Il processo che #160anni fa ha portato all’unificazione d’Italia porta la firma di tante donne e uomini. Tutti #Italiani, tutti coraggiosi e tutti con un sogno. Una #lezione che ci insegna, ancora #oggi, che quando un popolo si unisce può piegare la storia. #italia #unitaitalia」 / Twitter

記事(英語):ボリビアのアフロ=ボリビア人と、アフロ=ボリビア王室(2007年ボリビア政府承認)に関する記事(2021年3月)

 ボリビア多民族国のアフロ=ボリビア人(奴隷としてアフリカから連れてこられた人々の子孫の少数コミュニティ)と、アフロ=ボリビア王室(2007年ボリビア政府承認)に関する記事がありました。

 

 (英語)The Afro-Bolivians And Their Monarchy In Bolivia: An Enigmatic Kingdom | Ancient Origins

 

 通説(というほどたくさんの情報を見たことがありませんが)、アフリカのコンゴ王国の王子でボリビアのあたりに連れてこられたウチチョ王子(Prince Uchicho)が19世紀前半に戴冠(上記記事では1823年、1832年説も)したとされています。
 また、コンゴではなくセネガルからという説もあります(追記:王室公式サイトではセネガル)。

 後継のボニファス王のときに(奴隷解放時によくある例の)プランテーション所有者の姓ピネドをそのまま用いるようになり(Bonifaz Pinedo)、王位はホセ・ピネドJosé Pinedo)、ボニファシオ・ピネドBonifacio Pinedo)と子息の継承で続きます。

 ボニファシオ王の崩御は1950年代とされており、これ以降、現在のフリオ・ピネド王陛下(Julio Pinedo)までは、上記記事などによればボニファシオ王の後は娘のアウロラ王女(Doña Aurora)が王室を率い(女王とされていないので摂政的な役割ということになるのでしょうか)アウロラ王女の子息がフリオ王陛下であるとしています。

 少し不思議なこともあり、フリオ王陛下の戴冠は1992年とされていますが、外見や年齢からみるともう少し早く戴冠して良さそうにも思えます(男系男子消滅によって合意が形成されなかったのかもしれません)。

 また、継嗣のローランド・ピネド皇太子殿下(Prince Rolando Pinedo)は、上記記事では王自身の子供のように取れますが、甥を養子としたという話もあります。

※現在、王室の公式サイトにアクセスできないので、王室自身がどのように発信しているのか確認できません。
 公式サイトにアクセスできるようになりました。
 (スペイン語:アフロ=ボリビア王室 公式サイト)Web Oficial de la Casa Real Afroboliviana

 

 同王室は、2007年にボリビア政府に承認を受けて公的な存在となっています。