2019年8月1日、大給湛子夫人(おぎゅう きよこ)が薨去した模様です。
1919年8月2日生まれの99歳。
朝香宮家出身で、後に大給松平家に嫁ぎました。
記事にするタイミングを逸してしまったものもありますが、リンクなど貼っておきます。
2019年3月20日、1947年に皇籍離脱した東久邇信彦氏(ひがしくに のぶひこ : Nobuhiko Higashikuni : 旧・東久邇宮家の信彦王殿下 : His Imperial Highness Prince Nobuhiko Higashikuni)が薨去したとの報道が出ています。
1945年3月10日生まれの74歳。
関連:
(やや古い情報です)旧宮家、1947年に皇籍離脱した旧皇族(元皇族)とその男系子孫
2018年9月12日、福岡県大牟田市立の三池カルタ・歴史資料館は、三池立花家から寄託された三池藩最後の藩主立花種恭(たちばな たねゆき)の関連資料から幕末から明治初期にかけての多数の書簡が見つかったことを発表したようです。
岩倉具視ら明治の実力者の書簡60点 最後の三池藩主に送る 歴史資料館が発見、10月公開 [福岡県]|【西日本新聞】
書簡を含む史料の一部は10月2日~12月9日(月曜と最終木曜休館)、同館の企画展「三池立花家の近代-立花種恭と激動の幕末維新」で公開する。入場無料。同館=0944(53)8780。
岩倉具視や三条実美らの名前が見えます。
史料は種恭から5代目に当たる現当主が先代から引き継ぐ際に出てきたという。
ということで、現当主の名前はありません。
2018年9月11日、トルコ共和国訪問中の三笠宮家の彬子女王殿下(あきこ : Her Imperial Highness Princess Akiko of Mikasa)は、イスタンブール海軍博物館を訪問したようです。
同・博物館で、明治維新後初の国産軍艦である日本海軍「清輝(せいき)」の小さいモデルが展示開始となり、ネームプレートには殿下が揮毫したようです。
(トルコ語:写真数枚)Japon Prensesi'nden Deniz Müzesine Savaş Gemisi Seiki Maketi – İstanbul Haberleri
なお、上記記事の館長のスピーチにある出来事は年代順では、
1878年~、清輝がヨーロッパへ(この時、イスタンブールへも)、
1887年、小松宮殿下(彰仁親王 : あきひと)がオスマン帝国を訪問、
1890年、エルトゥールル号事件、
となっています。
つまり今年が、清輝のイスタンブール訪問140周年のようです。
関連:
(2018年9月)三笠宮家の彬子女王殿下のトルコ共和国訪問関連記事