イタリア王室(直系)当主/サヴォイア公・ナポリ公ヴィットーリオ・エマヌエーレ殿下が、イタリア統一160周年のメッセージ(2021年3月)

 1861年3月17日に、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世がイタリア王であると宣言されてから160周年ということで、イタリア王室当主のサヴォイア公・ナポリ公ヴィットーリオ・エマヌエーレ殿下(His Royal Highness Prince Vittorio Emanuele of Savoy, Duke of Savoy, Prince of Naples)がメッセージを出しています。

 

 (英語)MESSAGE FROM H.R.H. PRINCE VITTORIO EMANUELE OF SAVOY, DUKE OF SAVOY, PRINCE OF NAPLES, ON THE OCCASION OF THE 160TH ANNIVERSARY OF THE PROCLAMATION OF THE KINGDOM OF ITALY – Ordini Dinastici della Real Casa di Savoia
 (イタリア語)MESSAGGIO DI S.A.R. IL PRINCIPE VITTORIO EMANUELE DI SAVOIA, DUCA DI SAVOIA, PRINCIPE DI NAPOLI, IN OCCASIONE DEL 160° ANNIVERSARIO DELLA PROCLAMAZIONE DEL REGNO D’ITALIA – Ordini Dinastici della Real Casa di Savoia

 

 

Ordini DinasticiはInstagramを利用しています:「[RICORRENZE] 17 marzo 1861 – Proclamazione Regno d’Italia Il 17 Marzo 1861, con la Legge n° 4761 (poi trasformata in Legge 21 Aprile 1861,…」

 

 また、息子で継嗣のヴェネツィア公/ピエモンテ公/サヴォイア公子エマヌエーレ・フィリベルト殿下(His Royal Highness Prince Emanuele Filiberto of Savoy, Prince of Venice and Piedmont)も、 Twitter で少しだけコメントしています。

Emanuele FilibertoさんはTwitterを使っています 「Il processo che #160anni fa ha portato all’unificazione d’Italia porta la firma di tante donne e uomini. Tutti #Italiani, tutti coraggiosi e tutti con un sogno. Una #lezione che ci insegna, ancora #oggi, che quando un popolo si unisce può piegare la storia. #italia #unitaitalia」 / Twitter

結婚・民事婚(2021年3月5日):ポンテコルヴォ公ジョアシャン・ミュラ殿下(ナポリ王ジョアシャン・ミュラとカロリーヌ・ボナパルトの子孫)とヤスミン・ロレーヌ・ブリキ嬢が結婚。ロシア帝室ロマノフ家継嗣/ロシア大公ゲオルギー殿下が参列

 2021年3月5日、ポンテコルヴォ公ジョアシャン・ミュラ殿下(His Highness Prince Joachim Murat, Prince of Pontecorvo)とヤスミン・ロレーヌ・ブリキ嬢(Yasmine Lorraine Briki)の民事婚の結婚式がおこなわれたようです。

 ジョアシャン・ミュラ殿下は、第8代ミュラ公ジョアシャン・ミュラ殿下の継嗣で、ナポリ王ジョアシャン・ミュラとフランス皇帝ナポレオン1世の妹カロリーヌ・ボナパルトの子孫になります。

 ヤスミン・ロレーヌ・ブリキ嬢は、イエメンの方に存在した Principauté Al Breik (ブレイク公国??)の創始者の子孫と書かれていますが、この国(?)についてはさっぱりわかりません。

 

 (フランス語)Joachim Murat, un mariage princier – Point de Vue

 

 婚約が発表されているロシア帝室継嗣のロシア大公ゲオルギー殿下(His Imperial Highness The Heir, Tsesarevich, and Grand Duke George of Russia : プロイセン王子 : Prince of Prussia)とキリスト教/東方正教会/ロシア正教会に改宗し、ヴィクトリア・ロマノヴナVictoria Romanovna)の名をえているレベッカ・ベッタリーニ嬢(Rebecca Bettarini)が参列しています。

 パンデミック下のため、大きな集まりはなかったのだろうと思いますが、ゲオルギー殿下の参列の理由は不明です。
 深読みすれば、結婚式に向けて話題を作っておきたいロシア帝室と、ナポレオンの縁戚で君主格の家柄という主張を続けているミュラ家側の利害が一致したということでしょうか。とりあえずフランス語メディアでは話題になっています。

 

Point de VueさんはTwitterを使っています 「😍Le prince Joachim Murat a épousé Yasmine Lorraine Briki, le 5 mars dernier 💍 >> https://t.co/zW7WuHy7Kx #wedding #joachimmurat #Napoleon #prince https://t.co/DBfOPXdvZd」 / Twitter

 

Point De Vue(@pointdevue) • Instagram写真と動画

 

婚約(2020年12月):メクレンブルク公世子アレクサンダー殿下とハンデ・マシット嬢

 2020年12月20日、メクレンブルク公世子アレクサンダー殿下(Duke Alexander of Mecklenburg : His Highness The Hereditary Prince)とハンデ・マシット嬢(Hande Macit)が婚約したようです。

 アレクサンダー殿下は、メクレンブルク=シュトレーリッツ系統の当主ボルヴィン殿下の長男で継嗣です。
 ハンデ・マシット嬢は、トルコ出身で、オランダの市民権を取得しているようです。

 新型コロナウイルス感染症【COVID-19】の影響もあり、各々の両親への報告はビデオ通話でおこなわれたようです。

 

 (英語:メクレンブルク=シュトレーリッツ家 公式サイト)Engagement of The Hereditary Prince and Miss Hande Macit – House of Mecklenburg-Strelitz

Haus Mecklenburg-StrelitzさんはTwitterを使っています 「The engagement of Hereditary Prince Alexander, elder son of the Duke and Duchess of Mecklenburg, and Miss Hande Macit has been announced. https://t.co/KsQ84rkRph」 / Twitter

 

 ボルヴィン殿下やアレクサンダー殿下は、メクレンブルク=シュトレーリッツ大公室の貴賤結婚の子孫で、現在この系統が権利を回復して大公室を形成していると見られています。が、以前も書きましたが異論があります。

関連:
 (この記事の下のほう)訃報(2018年7月23日):メクレンブルク公子カール・グレゴール殿下、薨去(1933~2018)

 

続報:
 結婚・民事婚(2022年6月17日):メクレンブルク公世子アレクサンダー殿下とハンデ・マシット嬢

ルクセンブルク大公アンリ殿下が、キリスト教/東方正教会/コンスタンティノープル/ベルギー府主教アシナゴラス座下らと会見(2020年11月)

※この記事はキリスト教 高位聖職者のニュースと重複します。

 

 2020年11月26日、ルクセンブルク大公アンリ殿下(Henri : His Royal Highness The Grand Duke of Luxembourg)は、キリスト教/東方正教会/コンスタンティノープル/ベルギー府主教アシナゴラス座下(His Eminence Metropolitan Athenagoras of Belgium, Exarch of the Netherlands and Luxembourg : オランダとルクセンブルクにおける首座代理)と会見しました。

 

Cour Grand-DucaleさんはTwitterを使っています 「26 novembre 2020 – Le Chef d’Etat a reçu en audience Son Eminence le Métropolite Athénagoras de Belgique et le Père Panagiotis Moschonas, Curé de la Cathédrale orthodoxe au Luxembourg, Vicaire Episcopal. ©MGD/K.Barthelmey https://t.co/Fy0VEn4Muf」 / Twitter

 

 (英語)Metropolitan of Belgium had a meeting with the Grand Duke of Luxembourg – Orthodox Times

 

訃報(2020年11月2日):ハプスブルク=ロートリンゲン家のハンガリー王女シャロルタ殿下が薨去(1940~2020)故・テシェン公アルプレヒト・フランツ大公殿下の長女

 2020年11月2日、オーストリア大公女シャロルタ殿下(オーストリア皇女 : ハンガリー王女 : ベーメン王女 : Her Imperial and Royal Highness Archduchess Sárolta of Austria, Princess Imperial of Austria, Princess Royal of Hungary and Bohemia)が薨去しました。
 1940年3月3日生まれの80歳。

 

 (英語)Eurohistory: The Passing of Archduchess Sárolta of Austria (1940-2020), Daughter of the Last Duke of Teschen
 (フランス語)Hommages – Pour que son souvenir demeure: Sárolta v.H.-L. WUTHOLEN

 

 父はハプスブルク家のテシェン公アルプレヒト・フランツ大公殿下で、両親の結婚は貴賤結婚のため、シャロルタ殿下と妹のイルディコ殿下は当時の当主オットー殿下よりハプスブルク伯女の称号を受けています。
 また、国王のいないハンガリー王国の摂政だったホルティ・ミクローシュより、アルプレヒト・フランツ大公殿下はハンガリー王子として認められており、その娘として姉妹もハンガリー王女ということになります(これはオットー殿下の認めたものではありません)。
 加えて、21世紀に入ってハプスブルク=ロートリンゲン家の当主によって結婚に関する制限が大幅に緩められ、過去の貴賤結婚についてもあらためて承認されている状況であり(故オットー殿下が決めたのか現当主のカール大公殿下が決めたのかはっきりしないという状況ですが)、シャロルタ殿下の両親の結婚もこれに該当するとみられています。

 家族によると、当人はこれらの称号について特に使用したことはないようです。
 これは良くある、当人が興味を持っていない事例にも思えますが、一方でご本人は歴史やハプスブルクに興味のある様々な人々と会見していたようです。
 ホルティ摂政の承認した称号を使用するのはホルティ時代の政治を支持していると取られる可能性もありますし、また(結婚制限が緩められる前の状態では)当主のオットー大公殿下の権限に挑戦しているとも取れます(オットー殿下にはハプスブルク伯女の称号しか認められていない)ので、慎重に行動していたということかもしれません。