Vanity Fair(英語)記事:“There’s Nothing Wrong with Falling from Grace”(2018年)君主政復活・王室支持の話と、エチオピア帝室のエルミアス・サーレ=セラシエ皇子殿下とニコライ・トルストイ伯爵子の話題など

 (英語)“There’s Nothing Wrong with Falling from Grace”: The Global Network of Monarchists Helping Deposed Kings and Queens | Vanity Fair
 (英語:上記からニコライ・トルストイ伯爵子に関する部分の一部を抜き出したもの)Count Nikolai Tolstoy on Russian Monarchy and the Romanovs | Royal Russia News

 

 冒頭は、ルーマニア王女マルガレータ殿下(当時)から連絡を受けた人物の話、君主政復活・王室支持の話と、エチオピア帝室のエルミアス・サーレ=セラシエ皇子殿下(His Imperial Highness Prince Ermias Sahle-Selassie)とニコライ・トルストイ伯爵子(Count Nikolai Tolstoy)の話題などが中心となっています。

 

 エルミアス・サーレ=セラシエ皇子殿下は故エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世陛下の孫ですが、一般的にエチオピア帝室の当主とされていません。
 しかし、この記事のように、帝室の代表者として活動しているとみる立場もあるようです。

 

 ニコライ・トルストイ伯爵子の話の一部には、“Pretender【プリテンダー】”という用語に関するものがあります。
 いうまでもなくこの言葉は中立的ではないものですが、Wikipedia英語版のせいか、この言葉が使用されるケースが多い気します(上記の記事すらそうなのですが)。
 そのもっともアホらしい例は、リトアニアの王位継承者を称して活動を始めたウラッハ公子イニゴ閣下(His Serene Highness Prince Inigo of Urach)のものらしきサイト(すぐに更新止まりましたけれど)に、イニゴ閣下をリトアニア王位の“legitimate pretender”とする表記があったことです。もちろんこれは、イニゴ閣下を正当な王位継承者と表現したかったのでしょうが、pretenderに「不当」である意味がありlegitimateに「正当」である意味があることを考慮すれば、ギャグのような言葉の並びです。
 中立的というかなんと表現すればいいのかわかりませんが、“Claimant【クレイマント】”という用語がありますが、一般的の人にはなじみがなく、また、正直これが本当に中立な用語なのか首をかしげるときもあります。日本語で“王位請求者”と(訳して)書いている例がありますが……コメントは避けます
 伯爵子は“Heir【エア】”を使っているようですが、当方でも「(王位)継承者」などこの用語を意識して書いています。この用語が実は一番便利です。曖昧さを許容するという意味でも。pretenderはそもそも本人が称していないのにこう書くのは名誉棄損みたいなものですし、claimantも本人が称していない場合はどうなのか、よくわからない部分があります。

 

スペインのフランコ総統の孫娘で、初代フランコ女公爵カルメン・フランコ・ポロ閣下の第一子マリア・デル・カルメン・マルチネス=ボルディウ・フランコ閣下が、フランコ公爵位継承の申請をおこなった模様(2018年3月)

 昨年【2017年】12月29日に、スペインの故フランシスコ・フランコ総統の一人娘の初代フランコ女公爵カルメン・フランコ・ポロ閣下(ビリャベルデ侯爵夫人【未亡人】 : Carmen Franco Polo, 1st Duchess of Franco : The Most Excellent The Duchess of Franco : マリア・デル・カルメン・フランコ・ポロMaría del Carmen Franco Polo)が薨去しましたが、それにともない空位となっていたフランコ公爵位について、第一子のマリア・デル・カルメン・マルチネス=ボルディウ・フランコ閣下(María del Carmen Martínez-Bordiú Franco)が継承を申請したようです。

 おそらくこのまま申請が通るのではないかと思いますが……。

 

 (PDFファイル:スペイン語)Anuncio 19174 del BOE núm. 74 de 2018

 

 マリア・デル・カルメン・マルチネス=ボルディウ・フランコ閣下の生存している子供は、次男の正統派フランス王位継承者ルイ20世Louis XX)ことアンジュー公ルイ・アルフォンス殿下(Louis Alphonse : His Royal Highness The Duke of Anjou)と、別の夫との子供マリア・シンシア・ロッシMaría Cynthia Rossi)です。

 

続報:
 2018年7月4日付けの公布で、マリア・デル・カルメン・マルチネス=ボルディウ・フランコ閣下に第2代フランコ公爵襲爵の許諾が発表されていた模様(2018年7月)

 

“アラウカニア・パタゴニア王国”摂政会議が、“アントワーヌ4世公殿下”の後継に“フレデリック1世殿下”を選出(2018年3月)

 昨年【2017年】12月16日に、“アラウカニア・パタゴニア王国”の現在の代表者であった“アントワーヌ4世公殿下(His Royal Highness Prince Antoine IV : サン・ペドロ・デ・フエイウスコ公爵 : Duke of San Pedro de Hueyusco : ジャン=ミシェル・パラシリティ・ディ・パラJean-Michel Parasiliti di Para)”が75歳で“薨去”しましたが、2018年3月24日、摂政会議はあらたにフレデリック・リュズ氏(Frédéric Luz)をアラウカニア・パタゴニア王位継承者に選出した模様です。統治名は“フレデリック1世(Prince Frédéric I)”。

 

 (フランス語)Microsoft Word – communique2018.1.pdf.docx

 

 アラウカニア・パタゴニア王国というのは、すこぶる簡単に言いますと、アルゼンチンとチリのあたりに建国したかった国なのですが、いろいろあって現在も活動している人たちがいます。

 また、今回フレデリック1世殿下を選出した団体が主流といいますか、多数派なのですが、このほかにお二方ほど(フレデリック1世から先々代の)フィリップ1世殿下の後継者を称している人がいます。
 アラウカニア・パタゴニア公スタニスラス1世【スタニスラス・パルビュレスコ】殿下(キディコ子爵 : His Royal Highness Stanislas I【Stanislas Parvulesco】, Prince of Araucania and Patagonia, Viscount of Quidico)とフランソワ・ドゥ・ラ・ガルド氏(François de La Gardeフィリップ・オルリーPhilippe Orllie)ですが、今回のフレデリック1世の選出を受けておそらくですが、コメントを出すものと思われます(フランソワ・ドゥ・ラ・ガルド氏は、フィリップ1世殿下の後継を称していますが、プリンスの称号などを用いていません)。 
 スタニスラス1世は、アントワーヌ4世“薨去”後に「融和」(要するに自分を認めろということですが)を呼びかけていたので、落胆したという主旨の文章を出すのではないかと。

 

追記:
 フレデリック・リュズ氏およびスタニスラス1世は、フランス王ジャン2世の子孫を称しており、スラニスラス1世のほうは系譜の情報まで出ているようです。

ルクセンブルク大公アンリ殿下夫妻が、フランス大統領マクロン閣下を訪問(2018年3月)

 2018年3月19日、フランス共和国を訪問中のルクセンブルク大公アンリ殿下(Henri : His Royal Highness The Grand Duke of Luxembourg)とルクセンブルク大公妃マリア・テレサ殿下(Maria Teresa : Her Royal Highness The Grand Duchess of Luxembourg)は、エリゼ宮殿のフランス共和国大統領エマニュエル・マクロン閣下(アンドラ共同統治公 : His Excellency Mr Emmanuel Macron, Co-Prince of Andorra)を訪問したようです。

 

 (フランス語:ルクセンブルク大公室公式サイト)Visite d’État en France: Jour 1 – Cour Grand-Ducale de Luxembourg – Mars 2018

 

 (写真一覧)
画像と写真 | Getty Images

French President Emmanuel Macron, Brigitte Macron, Maria Teresa,… ニュース写真 | Getty Images
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Maria Teresa, Grand Duchess of Luxembourg and Henri, Grand Duke of… ニュース写真 | Getty Images
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訃報(2018年3月8日?9日?):イタリアの最上級家門のひとつボンコンパーニ・ルドヴィージ家の当主ピオンビーノ公ニコロ・ボンコンパーニ・ルドヴィージ閣下が薨去の模様(1941~2018)

 イタリアの最上級家門のひとつボンコンパーニ・ルドヴィージ家の当主ピオンビーノ公ニコロ・ボンコンパーニ・ルドヴィージ閣下(Don Nicolò Boncompagni Ludovisi, Prince of Piombino, Duke of Sora)が薨去した模様です。
 日付は不明。
 1941年1月21日生まれなので77歳ということになりそうです。

 

 (イタリア語)L'addio di Umberto Pizzi al principe Nicolò Boncompagni Ludovisi. Le foto – Formiche.net

 

追記:
 下記ツイッターによれば、3月9日薨去ということになりそうです。ついでに HSH【His Serene Highness】 の敬称を使用しています。
Almanach de Gothaさんのツイート: "HSH Prince Nicolò #Boncompagni-Ludovisi, 10th Prince of #Piombino, etc., born Rome 21-1-1941, died there 9-3-2018 #requiescatinpace… https://t.co/B9pAzR9Dqp"

 

追記2:
 (イタリア語)si sono celebrati sabato 10 marzo i funerali nicolò boncompagni ludovisi, nella chiesa di sant'ignaz – Cafonalino

 追加の記事です。

 リビア王室の一員で王室当主を称している(最近情報がないので現在も称しているのかどうかはわかりませんが)イドリース・ビン・アブドッラー・エル・サヌーシー王子殿下(His Royal Highness Prince Idris bin Abdullah El Senussi)とアナ・マリア王子妃殿下(Her Royal Highness Princess Ana María El Senussi)の葬儀参列があったようです。

 

追記3:
 記事と動画リンク。
 こちらは3月8日薨去と伝えています。

 (英語)In Memoriam: HSH Prince Nicolò Boncompagni Ludovisi (Rome 21 January 1941—Rome 8 March 2018) – Archivio Digitale Boncompagni Ludovisi

自らの称号を挙げてみるようインタビュワーに求められた生前の殿下の映像が冒頭/
Corey Brennan:
HSH PRINCE NICOLÒ BONCOMPAGNI LUDOVISI (1941-2018) REMEMBERED – YouTube