訃報(2019年3月8日):エスワティニ王【スワジランド王】ムスワティ3世陛下の12人目の妻インコシカティ・ラドゥベ【ノサンド・ドゥベ】が崩御(1988~2019)31歳

 2019年3月8日、エスワティニ王【スワジランド王】ムスワティ3世陛下の12人目の妻“インコシカティ”・ラドゥベInkhosikati LaDubeノサンド・ドゥベNothando Dube)が南アフリカ共和国の病院で崩御したようです。
 1988年生まれの31歳。
 死因は皮膚癌に関連するものと報じられています。

 2005年結婚。
 2005年~2009年に王との間に、
 マコソサンド・ドラミニ王女(Princess Makhosothando Dlamini)、
 ベティヴェ・ドラミニ王子殿下(Prince Betive Dlamini)、
 マーレマランゲニ・ドラミニ王女殿下(Princess Mahlemalangeni Dlamini)、
 の三子ありとのことです。
 2010年に王の幼馴染でもある大臣との不倫現場を直撃された疑惑。
 2011年に王宮から追放されたという疑惑があります。こちらについてははっきりしません。あっさり自由にしてくれるところではない気もします。治療の可能性もあるかもしれませんが……8年前だとないかもしれません。

 

 (英語)King Mswati's 12th wife passes away | Mpumalanga News

Mpumalanga Newsさんのツイート: "King Mswati's 12th wife passes away | Mpumalanga News https://t.co/Fw4fEQw8uw"

 

 (英語)Eswatini mourns the death of King Mswati III’s 12th wife – African Daily Voice
 (英語)Times Of Swaziland | INKHOSIKATI LADUBE PASSES ON
 (英語)Swaziland King's Wife Ladube (31) Dies, After Unhappy Life At Royal Palace – allAfrica.com

 

関連:
 訃報(2018年4月6日?):スワジランド王の8人目の妻インコシカティ・ラマサンゴ【センテニ・マサンゴ】が自殺か。アミトリプチリンの大量摂取(40カプセル?)。近年の不遇や、一週前に姉の葬列に参列を許されなかったなどの情報(1981~2018)

 

婚約(2019年2月?): ¡HOLA! の取材に認めた模様/オーストリア大公女エレオノーレ殿下【エレオノーレ・フォン・ハプスブルク】(ハプスブルク=ロートリンゲン家当主オーストリア大公カール殿下の長女)とレーシングドライバーのジェローム・ダンブロジオ氏が婚約。結婚式は2020年

 一報だけお伝えしましたが、(婚約の日付ははっきりしていないものの)スペインの ¡HOLA! に対し、オーストリア大公女エレオノーレ殿下(オーストリア皇女 : ハンガリー王女 : ベーメン王女 : Her Imperial and Royal Highness Archduchess Eleonore of Austria, Princess Imperial of Austria, Princess Royal of Hungary and Bohemia : エレオノーレ・フォン・ハプスブルクEleonore von Habsburgエレオノーレ・ハプスブルク=ロートリンゲンEleonore Habsburg-Lothringen)は、F1でも出走経験のあるレーシングドライバーのジェローム・ダンブロジオ氏(Jérôme D'Ambrosio)との婚約を認めた模様。
 結婚式は2020年になるようです。

 

 (スペイン語)EXCLUSIVA: Eleonore de Habsburgo, nieta del barón Thyssen, nos confirma que se casa con el piloto Jérome d'Ambrosio

Revista ¡HOLA!さんのツイート: "Así es Eleonore de Habsburgo, la nieta del barón Thyssen que se casará 💍 con el piloto Jérome d'Ambrosio https://t.co/SopUGoUavu… https://t.co/FqPmRwnOBC"

 

※ジェローム・ダンブロジオ氏の名前表記ですが、本人の Twitter アカウントでは、「Jérôme D'Ambrosio」となっています(「é」「ô」「D'」など)。

 

続報:
 結婚【民事婚】(2020年7月20日):オーストリア大公女エレオノーレ殿下(ハプスブルク=ロートリンゲン家当主カール大公殿下の長女)とジェローム・ダンブロジオ氏がモナコで民事婚

 

ルクセンブルク大公アンリ殿下が、ロシア首相メドヴェージェフ閣下と会見(2019年3月)

 2019年3月6日、ルクセンブルク大公アンリ殿下(Henri : His Royal Highness The Grand Duke of Luxembourg)は、ルクセンブルク大公国を公式訪問したロシア連邦首相ドミトリー・アナトリエヴィチ・メドヴェージェフ閣下(メドベージェフ首相 : His Excellency Mr Dmitry Anatolyevich Medvedev)と会見しました。

 

 (フランス語:ルクセンブルク大公室公式サイト)Audience pour S.E.M. Dimitri Medvedev, Premier ministre de la Fédération de Russie – Cour Grand-Ducale de Luxembourg – Mars 2019

Cour Grand-Ducaleさんのツイート: "S.A.R. le Grand-Duc a reçu en audience S.E.M. Dimitri Medvedev, Premier ministre de la Fédération de #Russie, dans le cadre de sa visite officielle au Grand-Duché de #Luxembourg. © CGD/C.Piscitelli #grandduc #grandduke #courgrandducale #russia #monarchielu… https://t.co/BJEC7xgtMB"

Son Altesse Royale le Grand-Duc a reçu… – Cour Grand-Ducale | Facebook

 

 (英語:ロシア政府公式サイト)News – The Russian Government | Dmitry Medvedev’s meeting with Grand Duke of Luxembourg Henri
 (ロシア語:ロシア政府公式サイト)Правительство России | Встреча Дмитрия Медведева с Великим Герцогом Люксембургским Анри

Government of Russiaさんのツイート: "Talks with Grand Duke of Luxembourg Henri… "

34秒あたりに少し/
pravitelstvoRF(ロシア政府公式チャンネル):
Официальный визит в Люксембург – YouTube

 

誕生(2019年1月10日):リーニュ・ド・ラ・トレモイユ公子アントワーヌ閣下。ベルギー貴族のリーニュ家。祖父シャルル=アントワーヌ公子閣下は、エルサレム、ナポリ、キプロス、キリキア・アルメニア王位の継承者の話で名前が出る人物

 2019年1月10日、リーニュ・ド・ラ・トレモイユ公子アントワーヌ閣下(His Serene Highness Prince Antoine of Ligne de La Trémoïlle)が誕生したようです。

※リーニュ・ド・ラ・トレモイユという表記は、リーニュ家と女系の(ド・ラ・)トレモイユ家を組み合わせたものです。

 リーニュ・ド・ラ・トレモイユ公子エドゥアール閣下と公子妃イザベラ閣下の間の、アルテア公女閣下及びアテナイス公女閣下に続く第三子・そして長男です。

 

Isabella Orsini de LigneさんはInstagramを利用しています:「#baby #AntoineTauEdouardAdrien #is #born #this #morning 🙏🏻❤️🙏🏻❤️🙏🏻 #is #4kg ans #200 🙏🏻❤️🙏🏻❤️ #thankyou #God 🙏🏻❤️🙏🏻❤️ #we #are #so #happy 🙏🏻❤️🙏🏻❤️…」

 

Isabella Orsini de LigneさんはInstagramを利用しています:「#goodmorning #sisters ❤️👶🏻❤️👶🏻 #purelove 😍❤️👶🏻 #princeantoinetauedouardadrien #princessathenaisallegra #princessaltheaisabella 🙏🏻👶🏻👶🏻🙏🏻❤️👶🏻🙏🏻😍」

 

 父であるエドゥアール公子閣下は、シャルル=アントワーヌ公子閣下の長男で、そのシャルル=アントワーヌ公子閣下は、エルサレム王位継承者(1490年死去のサヴォイア公カロル1世から女系系譜、またはブリエンヌ家の子孫として)、キプロス王位継承者及びキリキア・アルメニア王位継承者(同じくサヴォイア公カロル1世子孫としてなど)、ナポリ王位継承者(1501年に廃位されたナポリ王フェデリーコ1世の継承者として)の話で名前が出る人物です。

 

訃報(2018年12月3日):第3代プリモ・デ・リベラ公爵ミゲル・プリモ・デ・リベラ・イ・ウルキホ閣下が薨去(1934~2018)一般的に独裁者と呼ばれる第2代エステーリャ侯爵ミゲル・プリモ・デ・リベラ・イ・オルバネハ閣下(スペイン首相)の孫、第3代エステーリャ侯爵ホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラ・イ・サエンス・デ・ヘレディア閣下(ファランヘ党初代党首)の甥

 2018年12月3日、第3代プリモ・デ・リベラ公爵ミゲル・プリモ・デ・リベラ・イ・ウルキホ閣下(Miguel Primo de Rivera y Urquijo, 3rd Duke of Primo de Rivera : The Most Excellent The Duke of Primo de Rivera : 第5代エステーリャ侯爵(既に譲渡済み?) : 5th Marquis of Estella)が薨去したようです。
 1934年8月17日生まれの84歳。

 スペインの近現代史でもっとも重要な一族の一つであるプリモ・デ・リベラ家の一員で、前スペイン王ファン・カルロス1世陛下(His Majesty King Juan Carlos I of Spain)と親交が深く、王政復古の推進役の一人でした。

 

 (スペイン語)Muere Miguel Primo de Rivera, nieto del dictador y sobrino de José Antonio
 (スペイン語)Muere Miguel Primo de Rivera
 (スペイン語)Muere Miguel Primo de Rivera y Urquijo El 'todo Jerez' y el 'Todo Madrid' dan su adiós
 (スペイン語)Las cenizas de Primo de Rivera descansan ya junto a su abuelo en La Merced

 

 祖父の第2代エステーリャ侯爵ミゲル・プリモ・デ・リベラ・イ・オルバネハ閣下(Miguel Primo de Rivera y Orbaneja)はスペイン首相を務め(首相の職名は途中で変わりますが)、一般的に軍事独裁政権の独裁者とされます。
※なお、ソブレモンテ伯爵という称号を保有しているとする情報もありますが、ちょっとこの称号については真偽・存在含めてわかりません。

 また、伯父の第3代エステーリャ侯爵ホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラ・イ・サエンス・デ・ヘレディア閣下(José Antonio Primo de Rivera y Sáenz de Heredia)はファシズム運動の指導者で、ファランヘ党初代党首。スペイン人民戦線政府により、裁判なしで銃殺されました。
 死後かなり経って、フランシスコ・フランコ総統の時代に、初代プリモ・デ・リベラ公爵に叙されています。
 なお、ホセ・アントニオとフランコ総統の支持者は現在では完全にわかれている傾向にありますが、どちらの命日も 11月20日 です。ファランヘ党支持者は現在でも 11月20日 にデモ行進をおこないますが、キャプションなどが適当だとどちらの支持者なのかわからない場合があります(おそらくはホセ・アントニオの支持者だと思いますが……)。
 ホセ・アントニオの系統のファランヘ党の組織の後裔は、現在では(主にカタルーニャ問題の対応のためか)連邦制などを主張しているようですが、大昔の思想の名残がどの程度あるのかはわかりません。また、現在のスペイン王室に対しては、主に失態などについて批判的です。

 

関連:
 スペインのフェルナンド・プリモ・デ・リベラ・イ・オリオル閣下によるプリモ・デ・リベラ公爵位継承(第4代)が許可される(2020年7月・9月)