“アラウカニア・パタゴニア王国”摂政会議が、“アントワーヌ4世公殿下”の後継に“フレデリック1世殿下”を選出(2018年3月)

 昨年【2017年】12月16日に、“アラウカニア・パタゴニア王国”の現在の代表者であった“アントワーヌ4世公殿下(His Royal Highness Prince Antoine IV : サン・ペドロ・デ・フエイウスコ公爵 : Duke of San Pedro de Hueyusco : ジャン=ミシェル・パラシリティ・ディ・パラJean-Michel Parasiliti di Para)”が75歳で“薨去”しましたが、2018年3月24日、摂政会議はあらたにフレデリック・リュズ氏(Frédéric Luz)をアラウカニア・パタゴニア王位継承者に選出した模様です。統治名は“フレデリック1世(Prince Frédéric I)”。

 

 (フランス語)Microsoft Word – communique2018.1.pdf.docx

 

 アラウカニア・パタゴニア王国というのは、すこぶる簡単に言いますと、アルゼンチンとチリのあたりに建国したかった国なのですが、いろいろあって現在も活動している人たちがいます。

 また、今回フレデリック1世殿下を選出した団体が主流といいますか、多数派なのですが、このほかにお二方ほど(フレデリック1世から先々代の)フィリップ1世殿下の後継者を称している人がいます。
 アラウカニア・パタゴニア公スタニスラス1世【スタニスラス・パルビュレスコ】殿下(キディコ子爵 : His Royal Highness Stanislas I【Stanislas Parvulesco】, Prince of Araucania and Patagonia, Viscount of Quidico)とフランソワ・ドゥ・ラ・ガルド氏(François de La Gardeフィリップ・オルリーPhilippe Orllie)ですが、今回のフレデリック1世の選出を受けておそらくですが、コメントを出すものと思われます(フランソワ・ドゥ・ラ・ガルド氏は、フィリップ1世殿下の後継を称していますが、プリンスの称号などを用いていません)。 
 スタニスラス1世は、アントワーヌ4世“薨去”後に「融和」(要するに自分を認めろということですが)を呼びかけていたので、落胆したという主旨の文章を出すのではないかと。

 

追記:
 フレデリック・リュズ氏およびスタニスラス1世は、フランス王ジャン2世の子孫を称しており、スラニスラス1世のほうは系譜の情報まで出ているようです。

“アラウカニア・パタゴニア公【対立公】スタニスラス1世殿下”がモルドバ大統領ドドン閣下の政治的立場を支援することを表明(2018年1月)

 支援してなんになるのか、という話ではありますが。

 そんなわけで、アルゼンチンとチリのあたりに建国したかったアラウカニア・パタゴニア王国の現在の王室(?)の、対立公であるアラウカニア・パタゴニア公スタニスラス1世【スタニスラス・パルビュレスコ】殿下(キディコ子爵 : His Royal Highness Stanislas I【Stanislas Parvulesco】, Prince of Araucania and Patagonia, Viscount of Quidico)の話。

 

 先頃、モルドバを訪問し、資本主義にかわるものについて検討したスタニスラス公ですが、ちゃっかりモルドバ共和国大統領イゴル・ドドン閣下(His Excellency Mr Igor Dodon)と写真を撮り、自分が重要人物として扱われたかのようにブログに記事を書いておりました。

 そのドドン大統領閣下、簡単にいうと親ロシア派なのですが、フィリプ首相ら政府・議会勢力は親・西側諸国なので対立が激化し、大統領権限が無視されるというか「もともとそんなものはなかったのだ」というような状況になっているみたいです(モルドバの憲法を読んで詳細を確認する気がまったく起きない……ちゃんと作られているかどうかもわからないし)。

 

 (フランス語:アラウカニア・パタゴニア王国【スタニスラス1世派】公式ブログ)Soutien du Prince d' Araucanie au Président Moldave Igor Dodon. – Royaume d'Araucanie et de Patagonie.

 そんなピンチのドドン閣下を、我らの、ではないですが、プリンス・スタニスラスは支援すると表明しており、特になにもできないでしょうが、スタニスラス1世もまた親ロシア派であることがはっきりしました。というかもともとはっきりしてましたけど。

 

追記:
 スタニスラス1世はフランス王ジャン2世の子孫を称しており、系譜の情報も出回っています。

“アラウカニア・パタゴニア公【対立公】スタニスラス1世殿下”が、対立していた“アントワーヌ4世”の名(?)を死後の称として認め、融和を求める声明(2018年1月)

 2017年12月に“薨去”した“アントワーヌ4世殿下(Antoine IV)”と対立していたアラウカニア・パタゴニア公スタニスラス1世【スタニスラス・パルビュレスコ】殿下(キディコ子爵 : His Royal Highness Stanislas I【Stanislas Parvulesco】, Prince of Araucania and Patagonia, Viscount of Quidico)が声明を出しています。

 それによりますと、“アントワーヌ4世”を、もちろん正統なアラウカニア・パタゴニア王位継承者としては認めていないものの、死後の称として「アントワーヌ4世」を認めるというようなことが含まれています。
 そのかわりといってはなんですが、融和の呼びかけ=俺をただ一人のアラウカニア・パタゴニア公と認めろと、とれる内容もあります。

 はっきりいって、この内容が(故アントワーヌ4世側へ)どの程度の訴求力があるのかよくわかりません。そして、次の対立者が出るのかも定かではありません(アントワーヌ4世の遺族がこれからもこの“運動”に関わっていきたいのか、ほかに次のアラウカニア・パタゴニア王になりたい人物はいるのか、など)。

 ただ気になるのは、フランス語は詳しくないので理解が間違っているかもしれませんが、スタニスラス1世が認めているのはアントワーヌ4世という名称を使うだけであって、アラウカニア・パタゴニア王位にはこれがなにか関係があるのかについてはまったく述べていないところです。具体的には「Prince」という名称が前置または後置されていません
 つまり、この「アントワーヌ4世」というのはいったいなんなの?、ということです。適当に名乗っていいよというだけなら誰にだって出来る話です
 いっぽう、アントワーヌ4世について、アラウカニア・パタゴニア王位への主張が有効なものであると記述したり、「Prince」号はつけないものの、スタニスラス1世およびアントワーヌ4世の前任者であるフィリップ1世【フィリップ・ボワリー】と併記したりと、微妙な扱いも見られ、どちらにもごまかせるようし、うまく丸め込もうとしたのではないかとも思えます。

 

 (フランス語)Appel du Prince d' Araucanie. – Royaume d'Araucanie et de Patagonie.
 ※記事のURLが変更されたようなのでリンク先を変更しました。

 

追記:
 スタニスラス1世はフランス王ジャン2世の子孫を称しており、系譜の情報も存在します。

訃報(2017年12月30日or31日):オルレアン派フランス王室/クレルモン伯爵フランソワ王子殿下、薨去(1961~2017)パリ伯アンリ殿下の長男

 日付が情報によって違いますが、2017年12月30日または31日に、オルレアン派フランス王室のクレルモン伯爵/フランス王子フランソワ殿下(オルレアン公子 : His Royal Highness Prince François of France, Prince of Orléans, Count of Clermont)が薨去されたようです。
 1961年2月7日生まれの56歳。

 

王室公式サイト:
 (サイト運営が終了しています)(フランス語)Communiqué de Mgr le Comte de Paris | Le Comte de Paris
掲載時URL:http://leblogducomtedeparis.fr/communique-de-mgr-le-comte-de-paris/

 (フランス語:弟:ヴァンドーム公爵ジャン殿下の公式サイト)Prince Jean de France – Décès de S.A.R. le prince François d'Orléans

王党派ブログ:
 (サイト移転により記事の掲載が終了しています)
(フランス語)S.A.R. le prince François de France est décédé cette nuit – Le blog de La Couronne
掲載時URL:http://www.la-couronne.org/actualite-royale/s-a-r-prince-francois-de-france-decede-cette-nuit/
(フランス語)Portrait de S.A.R. le prince François de France, comte de Clermont – Le blog de La Couronne
掲載時URL:http://www.la-couronne.org/actualite-royale/portrait-de-s-a-r-prince-francois-de-france-comte-de-clermont/

一般報道:
 (フランス語)Le prince François d'Orléans est mort à l’âge de 56 ans – Le Parisien

その他:
 (フランス語:ミクロネーション「アラウカニア・パタゴニア王国」“アラウカニア・パタゴニア公スタニスラス殿下”公式ブログ)Communiqué du Prince d' Araucanie. – Royaume d'Araucanie et de Patagonie.
※スタニスラス1世はフランス王ジャン2世の子孫を称しており、系譜の情報も存在します。

 (英語)Prince François of Orléans Dies Aged 56 | The Royal Forums
 (英語)Royal Musings: HRH Prince Francois d'Orléans, Count of Clermont (1961-2017)
 (英語)Royal Musings: Death notice for the Count of Clermont

 

 障碍の問題で、継嗣(フランス皇太子)から外されたと(祖父から)宣言されたり、いやそうではないと(父から)宣言されたりといろいろありましたが、今回薨去されました。

PrinceJeandeFranceさんのツイート: "J'ai la tristesse de vous annoncer le décès de mon frère S.A.R. le prince François d'Orléans survenu ce matin. Je le confie à vos prières.… https://t.co/PlydK5Et2H"

 

“アラウカニア・パタゴニア公【対立公】スタニスラス1世殿下”がモルドバを訪問(2017年12月)

 さきごろ亡くなった“アントワーヌ4世殿下”の後継が明らかでないので、現段階の情報では、アントワーヌ4世と対立していたアラウカニア・パタゴニア公スタニスラス1世【スタニスラス・パルビュレスコ】殿下(キディコ子爵 : His Royal Highness Stanislas I【Stanislas Parvulesco】, Prince of Araucania and Patagonia, Viscount of Quidico)がただ一人のアラウカニア・パタゴニア王国の王位継承者を称していることになりますが、そのスタニスラス1世がモルドバ共和国を訪問したそうです。

 

 (フランス語:アラウカニア・パタゴニア王国【スタニスラス1世派】公式ブログ)Le Prince d'Araucanie reçu par le Président de la République Moldave Igor Dodon. – Royaume d'Araucanie et de Patagonie.

 

 目的ですが、上記記事によれば「21世紀において、資本主義にかわるものは?」というテーマのカンファレンスに出席、となっています。ムチャな……。

 そして上記のスタニスラス1世のブログには、モルドバ共和国大統領イゴル・ドドン閣下(His Excellency Mr Igor Dodon)とともにうつっている写真があるのですが、さもこれが重要である(大統領の出迎えを受けた)かのように掲示されていますが、むこうからすれば一緒に写真をとってくれといってきた一般人の一人なのでは……。

 

追記:
 なお、スタニスラス1世は、フランス王ジャン2世の子孫であると称しており、系図の情報も出回っています。