訃報(2024年12月16日):ヴァルデック=ピルモント公ヴィッテキント殿下が薨去(1936~2024)ヘッセン州首相ボリス・ライン閣下が弔意を表明

 2024年12月16日、ヴァルデック=ピルモント公ヴィッテキント殿下(Wittekind : His Serene Highness The Prince of Waldeck and Pyrmont : ヴィッテキント・フュルスト・ツー・ヴァルデック・ウント・ピルモントWittekind Fürst zu Waldeck und Pyrmont)が薨去しました。
 1936年3月9日生まれの88歳。

 1967年よりヴァルデック=ピルモント公室の当主となり、史跡の保存などに力を尽くしました。
 2000年にドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章を受章しています。

 薨去に伴い、長男のカール=アントン公世子殿下(Carl-Anton)が地位を継承。

 また、ヘッセン州首相ボリス・ライン閣下(His Excellency Boris Rhein)が弔意を表明。

 

 (ドイツ語:ヘッセン州首相官邸 公式サイト)„Wir trauern um eine herausragende Persönlichkeit“ | hessen.de

XユーザーのBoris Rheinさん: 「Wittekind Fürst zu Waldeck und Pyrmont hat sich mit viel Engagement dafür eingesetzt, das kulturelle Erbe zu bewahren und seine Heimat zu stärken. Hessen verliert einen prägenden Charakter, der nicht nur die Region, sondern das gesamte Land geprägt hat.」 / X

訃報(2024年12月4日):ホーエンツォレルン公子妃/スウェーデン王女ビルギッタ殿下が薨去(1937~2024)スウェーデン王カール16世グスタフ陛下の次姉

 2024年12月4日、ホーエンツォレルン公子妃/スウェーデン王女ビルギッタ殿下(Her Royal Highness Princess Birgitta of Sweden, Princess of Hohenzollern : ビルギッタ・プリンツェッシン・フォン・ホーエンツォレルン、プリンツェッシン・フォン・シュヴェーデンBirgitta Prinzessin von Hohenzollern, Prinzessin von Schweden)が、スペインのマヨルカ島で薨去したようです。
 1937年1月19日生まれの87歳。

 スウェーデン王カール16世グスタフ陛下の次姉で、ホーエンツォレルン公子ヨハン・ゲオルク殿下に嫁ぎました。
 婚姻後もスウェーデン王室の称号を保持。

 カール16世グスタフ陛下は、12月5日に王宮での半旗掲揚を指示。

 

 (英語:スウェーデン王室 公式ウェブサイト)HRH Princess Birgitta has passed away | Kungahuset

 (スウェーデン語:スウェーデン王室 公式ウェブサイト)Kommuniké från H.E. Riksmarskalken | Kungahuset
 (スウェーデン語:スウェーデン王室 公式ウェブサイト)H.K.H. Prinsessan Birgitta har avlidit | Kungahuset
 (スウェーデン語:スウェーデン王室 公式ウェブサイト)Uttalande av H.M. Konungen med anledning av H.K.H. Prinsessan Birgittas bortgång | Kungahuset

 

Instagram

 

追記:
 ホーエンツォレルン公カール・フリードリヒ殿下のコメントなどを含む記事/
 (ドイツ語)Tod der Prinzessin: Der Fürst erinnert sich an Traumhochzeit

インタビュー記事(ドイツ語):フュルステンベルク公クリスティアン殿下へのインタビュー記事(2024年11月)

 schwaebischeに「Exklusiv-Interview: Das ist der neue Fürst」(独占インタビュー:これが新しいフュルストです)と題する、フュルステンベルク公クリスティアン殿下(Christian : His Serene Highness The Prince of Fürstenberg : クリスティアン・フュルスト・ツー・フュルステンベルクChristian Fürst zu Fürstenberg)へのインタビュー記事が掲載されています。

 

 (ドイツ語)Exklusiv-Interview: Das ist der neue Fürst

 

 7月11日の、父・ハインリヒ殿下薨去に伴い、クリスティアン殿下が新しいフュルステンベルク公になっています。

 インタビュー記事はとても興味深いのですが、いくつか引用してみます。

 

Ich würde sagen, die wichtigste Tradition bei uns ist die Erbfolge. Das heißt, dass der älteste Sohn das Unternehmen verantwortet und den Titel erbt.

私たちにとって最も重要な伝統は継承だと思います。つまり、長男が会社の責任者となり、称号を継承するということです。

 

Denn wenn man das immer zwischen allen aufteilt, ist irgendwann nichts mehr da.

Dafür braucht es Disziplin. Denn es gibt Geschwister, die fragen, warum bekommt der alles. Da muss man dann faire Lösungen finden. Das ist auch eine Frage der Erziehung. Auch ein wichtiges Thema.

いつもみんなで分けていたら、いつかは何も残らなくなるからです。

それには規律が必要です。なぜあの子が全部もらえるのか、という兄弟がいるからです。公平な解決策を見つけなければなりません。それは教育の問題でもあります。これも重要なテーマです。

 

(質問者)

Sie haben erzählt, dass das Unternehmen immer an den ältesten Sohn geht. Was passiert, wenn ein Fürst irgendwann einmal nur Töchter hat?

会社は常に長男に行くものだと言いましたね。公に娘しかいない場合はどうなるのですか?

(公の回答)

Wenn jemand ausschließlich Mädchen bekommt, dann ist momentan die Tradition, dass es an den ältesten Sohn des Bruders geht. Und wenn der keine Kinder hat, geht es an den ältesten Sohn des Cousins. Der erste, der das wieder selbst entscheiden kann, ist mein Sohn – Tassilo.

Wir sind geprägt vom Testament meines Großvaters. Der hat darin den Wunsch geäußert, dass die Erbfolge im Sinne der Hausgesetze weitergeführt wird. Das kann man im Testament bis auf drei Generationen festlegen.

Mein Sohn kann dann frei entscheiden und auch modern sein, und beispielsweise die älteste Tochter als Erbin festlegen. Es gibt Häuser, die moderne Wege gehen. Es gibt aber auch andere Beispiele wie das Haus Zeil, die haben sechs Töchter und einen entfernten Cousin als Erben eingesetzt, weil das so in den Hausgesetzen verankert ist.

女の子しかいない場合、現在の伝統では、弟の長男に与えられます。もし彼に子供がいなければ、いとこの長男に相続されます。また自分で決められるようになる最初の人は、私の息子-タッシロです。

私たちは祖父(編注:ヨアヒム・エゴン公。先代の甥として継承)の遺言に影響を受けています。その中で祖父は、家の法律に従って継承を続けてほしいという希望を述べています。遺言書では三世代まで指定することができます。
(編注:これはこの遺言書がそうであったということで、一般に三世代を指定するということではないはずですが……?)

そうすれば、息子は自由に決めることができるし、現代風に、たとえば長女を相続人に指名することもできる。現代的なアプローチをとる家もある。しかし、ツァイル家のように、6人の娘と遠いいとこを相続人に指名する例もある。
(編注:ヴァルトブルク=ツァイル=トラウフブルク家のこと?)

 

Unsere 20 Angestellten sagen Durchlaucht. Das ist die historische Anrede. Wenn ich gefragt werde, wie ich angesprochen werde, dann sage ich: „Das überlasse ich ihnen.“ Wer es historisch mag, der sagt Durchlaucht. Mein Nachname ist Prinz zu Fürstenberg, also ist Herr Prinz zu Fürstenberg korrekt. Und wenn jemand Herr Fürstenberg sagt, bin ich auch nicht beleidigt. (lacht)

20人の従業員は、殿下と呼びます(編注:公のことを)。それが歴史的な呼び方です。私はどのように呼ばれるかと聞かれたら、「それは彼らに任せます」と答えます。歴史的な呼び方が好きなら、殿下と言ってください。私の姓はプリンツ・ツー・フュルステンベルクなので、プリンツ・ツー・フュルステンベルク氏が正しいです。誰かがフュルステンベルクさんと言ったとしても、私は怒らないですよ(笑)。

誕生(2024年5月23日):アウグストゥス・ミハイ・ド・ルーマニ・メトカーフ。ルーマニア王室当主/ルーマニア王位守護者マルガレータ陛下の姪の子

 2024年5月23日、エリサベタ・カリナ・ド・ルーマニ・メトカーフ夫人(Elisabeta Karina de Roumanie Metcalfe)とカート・メトカーフ氏(Kurt Metcalfe)の第一子・長男として、アウグストゥス・ミハイ・ド・ルーマニ・メトカーフAugustus Mihai de Roumanie Metcalfe)が誕生したと発表されました。

※各人物の発音は不明ですが、時と場合と人物によって異なる発音をされてそうではあります。

 エリサベタ夫人は、ルーマニア王女エレーナ殿下の娘で、母に次いでルーマニア王位継承順位第2位です。
 今回誕生したアウグストゥス・ミハイが継承順位に並ぶかはわかりませんが、エリサベタ夫人(と書いてあるのでそういう認識なのですが)はカート・メトカーフ氏と結婚しているようです。
 今回のアウグストゥス・ミハイの誕生は5月でしたが、5ヶ月ほど経過してから、ルーマニア王室によって発表されました。
 以上の状況から、継承順位に並んでいてもおかしくはない気はしますが、これについては正式な発表があるのを待ちましょう。

 なお、エリサベタ夫人の名前ですが、すでに結婚前から(姓は)メドフォース=ミルズ(Medforth-Mills)ではなくド・ルーマニ(de Roumanie)であったとの話です(兄のニコラス氏はそうではないです)。

 

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 (英語)Royal Musings: A son for Karina de Roumanie-Metcalfe

訃報(2024年7月11日):フュルステンベルク公ハインリヒ殿下(1950~2024)

 2024年7月11日、ドイツのフュルステンベルク公ハインリヒ殿下(Heinrich : His Serene Highness The Prince of Fürstenberg : ハインリヒ・フュルスト・ツー・フュルステンベルクHeinrich Fürst zu Fürstenberg)が薨去しました。
 1950年7月17日生まれの73歳。

 長い闘病生活の末に亡くなったようです。

 長男のクリスティアン殿下が後を継ぎます(クリスティアン・フュルスト・ツー・フュルステンベルクChristian Fürst zu Fürstenberg)。
 また、クリスティアン殿下の長男、タッシロ殿下が新たにフュルステンベルク公世子となります。

 

 (ドイツ語)Baden-Württemberg: Heinrich Fürst zu Fürstenberg gestorben | tagesschau.de

 

関連:
 インタビュー記事(ドイツ語):フュルステンベルク公クリスティアン殿下へのインタビュー記事(2024年11月) – 世界の王室ニュース