加賀本多博物館で特別展「大坂の陣前後の加賀藩」(2019年)

 2019年3月7日~6月10日の日程で、加賀本多博物館にて特別展「大坂の陣前後の加賀藩」が催されているようです。
 同館の館長は加賀本多家第15代当主本多政光氏。

 

 (公式サイト)【春季特別展】「大坂の陣前後の加賀藩」 | 現在の展示・過去の展示 | 加賀本多博物館

 

 石川)大坂の陣、加賀本多家の軌跡展示 書状や武具など:朝日新聞デジタル

 同館館長で加賀本多家15代当主の本多政光さん(72)は「展示物はほぼ全て実物。有名な武将が登場する書状などを通じ、本多家の活躍をみてほしい」と話す。

 

明日【2018年11月4日】「『文の京』歴史再発見~江戸から明治~殿様サミット」が開催。抽選応募多数のためパブリックビューイングも(2018年11月)水戸徳川家第15代当主 徳川斉正 氏、加賀前田家第18代当主 前田利祐 氏、阿部正紘 氏、細川護光 氏らが臨席

 明日【2018年11月4日】、東京都文京区の文京シビックセンター(春日1)小ホールで、「『文の京』歴史再発見~江戸から明治~殿様サミット」が開催(『文の京』は『ふみ の みやこ』)。
 定員の五倍超の観覧抽選応募があったため、シビックセンター地下二階の「区民ひろば」で、ライブ映像を放映とのことです。

 水戸徳川家第15代当主徳川斉正氏(とくがわ なりまさ)、
 福山藩主阿部家の阿部正紘氏、
 肥後細川家の細川護光氏(ほそかわ もりみつ)、
 加賀前田家第18代当主前田利祐氏(まえだ としやす)、
 が臨席。

 

 東京新聞:殿様サミットに5倍超の申し込み 文京で4日に開催:東京(TOKYO Web)

 サミットには、水戸徳川家の徳川斉正(なりまさ)さん、備後福山藩阿部家の阿部正紘さん、肥後熊本藩細川家の細川護光さん、加賀藩前田家の前田利祐(としやす)さんの四人が出席。東大名誉教授の樺山紘一さんがコーディネーターを務める。

 

東京都文京区の石川県県人会総会で、加賀前田家第18代当主 前田利祐 氏が祝辞(2018年9月)

 2018年9月21日、東京都文京区の石川県県人会(文京県人会)総会が開催され、加賀前田家第18代当主前田利祐氏(まえだ としやす)が祝辞を述べたようです。

 
 
 文京区で県人60人旧交 三文豪で金沢と連携講座計画:石川:中日新聞(CHUNICHI Web)

文京区は金沢の三文豪(泉鏡花、徳田秋声、室生犀星)ゆかりの地

 前田家第十八代当主・前田利祐さん(東京・目黒区在住)、成沢広修文京区長らが祝辞を述べた。

 文京区には旧加賀藩上屋鋪の御守殿門(東京大の赤門)がある縁などで、二〇一六年に文京県人会が発足した。

 

「前田利長公顕彰祭」に加賀前田家第18代当主 前田利祐 氏、前田土佐守家第14代当主 前田直大 氏らが参列(2018年9月)

 2018年9月13日、富山県高岡市の「前田利長墓所」で、「前田利長公顕彰祭」がおこなわれた模様。
 加賀前田家第18代当主前田利祐氏(まえだ としやす)夫妻、
 前田土佐守家第14代当主前田直大氏(まえだ なおひら)、
 らが参列したようです。

 

 高岡開町の祖 利長公しのぶ 入城の日に顕彰祭:富山:中日新聞(CHUNICHI Web)

遺徳顕彰会長の高橋正樹市長、前田家十八代当主の前田利祐(としやす)さん(82)=東京都、前田土佐守家十四代当主の前田直大(なおひろ)さん(65)=金沢市=ら約百三十人が列席した。

約百三十人が列席

 

 利長公に地域発展誓う 高岡で顕彰祭 – 富山県のニュース | 北國新聞社

高岡市関の国史跡前田利長墓所前で営まれ、前田家18代当主利祐氏夫妻をはじめ約70人が地域発展への誓いを新たにした。

約70人が地域発展への誓いを新たに

 

 人数が約60人も違うんですが……(困惑)。

 

金沢の婦人学級と首都圏在住の石川県県人会会員らが加賀前田家の分家が統治した七日市藩のあった群馬県富岡市を訪問。七日市陣屋跡の県立富岡高校では、七日市藩主前田家第15代当主の妻 前田佳子 夫人から歓迎を受けた模様(2018年8月)

 加賀藩ゆかりの群馬・富岡 小立野婦人学級ら訪問:石川:中日新聞(CHUNICHI Web)

 

 2018年8月27日、金沢の婦人学級と首都圏在住の石川県県人会会員らが加賀前田家の分家が統治した七日市藩のあった群馬県富岡市を訪問したようです。
 藩庁であった七日市陣屋跡の県立富岡高校では、七日市藩主前田家第15代当主の妻 前田佳子 夫人から歓迎を受けた模様。

 

 七日市藩は、前田利家まえだ としいえ)の五男前田利孝まえだ としたか)を初代としていますが、大坂の陣の武功による立藩です。

 記事中、

加賀藩の支藩・七日市藩

 とありますが、成立の経緯が武功であることと、所領が遠方であることもあり、支藩であるかどうかは異論が出るケースと思います。
 ただ、本家との関係が深かったのは間違いありません。

※「支藩」という言葉が、結構なものなので仕方ないです。