訃報(2024年12月30日):旧ザンジバル・スルタン【国王】ジャムシード・ビン・アブドッラー陛下が崩御(1929~2024)

 2024年12月30日、旧ザンジバル・スルタン【国王】 “サイイド”・ジャムシード・ビン・アブドッラー・アル・サイード陛下(His Majesty Sultan Sayyid Jamshid bin Abdullah Al Said, Sultan of Zanzibar)が崩御したようです。
 1929年9月16日生まれの95歳。

 1964年のザンジバル革命により亡命し、その後は英国に居住、2020年には同族が統治するオマーン国への入国が認められていました。
 記事のひとつによれば、2025年1月9日から Isles(諸島)へ戻る準備をしている最中であったようです。この Isles がザンジバルのことであれば、タンザニアやザンジバル自治政府の了解がありそうですが、探してみたところ、情報が見つかりませんでした(もし状況が判明したら追記します)。

 崩御に伴い、スルタン位の継承者は、長男の “サイイド”・アリー・ビン・ジャムシード・アル・サイードSayyid Ali bin Jamshid Al Said)となりそうです。

 

 (英語)Last Sultan of Zanzibar, Sayyid Jamshid bin Abdullah Al Said dies at 95 in Oman – Daily News

XユーザーのDaily News Tanzaniaさん: 「MUSCAT: The last Sultan of Zanzibar, Sayyid Jamshid bin Abdullah Al Said,  passed away on Monday, at Sultan Qaboos Hospital in Muscat, Oman, at the age of 95. Read more on:- https://t.co/f0fUKVJt4O https://t.co/5biakS4FOQ」 / X

 

 (英語)Last reigning Sultan of Zanzibar Sayyid Jamshid bin Abdullah dies at 95 years old in Oman | The Citizen
 (英語)Jamshid bin Abdullah, the last Sultan of Zanzibar, passes away at 95

モナコ公アルベール2世殿下一家のクリスマス向けフォトが公開(2024年12月)

 モナコ公アルベール2世殿下(His Serene Highness Prince Albert II, Sovereign Prince of Monaco)一家のクリスマス向けフォトが公開されています。

 

Palais Princier de Monaco(@palaisprincierdemonaco) • Instagram写真と動画

 

こちらは少し前の別の写真:
Palais Princier de Monaco(@palaisprincierdemonaco) • Instagram写真と動画

ボツワナ伝統的君主:元ボツワナ大統領イアン・カーマ閣下が、マングワト王カーマ4世陛下として帰還(2024年11月)100年の摂政時代が終了。式典には副大統領ンダバ・ハオラテ閣下やエスワティニ王子グドゥザ殿下が参列

 2024年11月30日、元ボツワナ共和国大統領イアン・カーマ閣下(Ian Khama)が、マングワト王カーマ4世陛下(His Majesty Kgôsikgolo Khama IV)として、マングワト部族の元に戻り、式典が行われました。
※政界に入っていたため、摂政が立てられ、また、その後の国外逃亡(亡命)などもありまして、今回地元に戻って、王として活動するということのようです。

 式典には、ボツワナ共和国大統領ンダバ・ハオラテ閣下(Ndaba Gaolathe)ら同共和国内の要人や、エスワティニ王子グドゥザ殿下(His Royal Highness Prince Guduza of eSwatini【Swaziland】)が参列ということです。
※このグドゥザ王子ですが、過去の日本の外務省の記事で(The Honourable Prince Guduza)と書かれている人物ではないでしょうか。敬称が His Royal Highness ではないのは、大臣の敬称が The Honourable なのでそうしたのでしょうが、疑問。

 マングワト部族は、1925年のセコマ2世崩御後から、常時のように摂政が立てられていたようで、100年の摂政の時代が終わるということになります。

 ただ、摂政を務めていたセラゴラ・セレツェSerogola Seretse)のかわりに、カーマ4世はセレツェ・ピーター・カーマSeretse Peter Khama)という人物を自らの補佐をする副王的地位に就けたようで、これまでの経緯を含めて、一族全体・部族全体を含めて、どの程度の人々が納得しているのかはよくわからないところです。

 

 (英語)PressReader.com 世界の新聞 | KGOTLA FOR WHO? Kgosi Khama IV will not sit at the kgotla like

 

XユーザーのPublic Interest BWさん: 「BREAKING: Kgosi Khama IV appoints Seretse Peter Khama his deputy. https://t.co/ovc140Rbhh」 / X

 

XユーザーのBotswana Polls and Updates 🇧🇼❤️さん: 「Gammangwato Kgosi, Khama IV, was received back to his seat today at the Gammangwato headquarters in Serowe surrounded by his family, national leadership, Bagammangwato and guests from elsewhere. https://t.co/NrwK045Br3」 / X

 

Note To Men & Women:
𝐓𝐇𝐄 𝐑𝐄𝐈𝐍𝐒𝐓𝐀𝐓𝐄𝐌𝐄𝐍𝐓 𝐎𝐅 𝐊𝐆𝐎𝐒𝐈 𝐊𝐇𝐀𝐌𝐀 𝐈𝐕- BANGWATO WELCOME KGOSI IAN KHAMA – YouTube

 

LORATO TV:
Former President Ian Khama Becomes Paramount Chief of the Bangwato Tribe in Botswana – YouTube

 

BtvNews Channel BW:
KGOSI KGOLO OF BANGWATO RECEPTION – YouTube

 

訃報(2024年12月4日):ホーエンツォレルン公子妃/スウェーデン王女ビルギッタ殿下が薨去(1937~2024)スウェーデン王カール16世グスタフ陛下の次姉

 2024年12月4日、ホーエンツォレルン公子妃/スウェーデン王女ビルギッタ殿下(Her Royal Highness Princess Birgitta of Sweden, Princess of Hohenzollern : ビルギッタ・プリンツェッシン・フォン・ホーエンツォレルン、プリンツェッシン・フォン・シュヴェーデンBirgitta Prinzessin von Hohenzollern, Prinzessin von Schweden)が、スペインのマヨルカ島で薨去したようです。
 1937年1月19日生まれの87歳。

 スウェーデン王カール16世グスタフ陛下の次姉で、ホーエンツォレルン公子ヨハン・ゲオルク殿下に嫁ぎました。
 婚姻後もスウェーデン王室の称号を保持。

 カール16世グスタフ陛下は、12月5日に王宮での半旗掲揚を指示。

 

 (英語:スウェーデン王室 公式ウェブサイト)HRH Princess Birgitta has passed away | Kungahuset

 (スウェーデン語:スウェーデン王室 公式ウェブサイト)Kommuniké från H.E. Riksmarskalken | Kungahuset
 (スウェーデン語:スウェーデン王室 公式ウェブサイト)H.K.H. Prinsessan Birgitta har avlidit | Kungahuset
 (スウェーデン語:スウェーデン王室 公式ウェブサイト)Uttalande av H.M. Konungen med anledning av H.K.H. Prinsessan Birgittas bortgång | Kungahuset

 

Instagram

 

追記:
 ホーエンツォレルン公カール・フリードリヒ殿下のコメントなどを含む記事/
 (ドイツ語)Tod der Prinzessin: Der Fürst erinnert sich an Traumhochzeit

インタビュー記事(ドイツ語):フュルステンベルク公クリスティアン殿下へのインタビュー記事(2024年11月)

 schwaebischeに「Exklusiv-Interview: Das ist der neue Fürst」(独占インタビュー:これが新しいフュルストです)と題する、フュルステンベルク公クリスティアン殿下(Christian : His Serene Highness The Prince of Fürstenberg : クリスティアン・フュルスト・ツー・フュルステンベルクChristian Fürst zu Fürstenberg)へのインタビュー記事が掲載されています。

 

 (ドイツ語)Exklusiv-Interview: Das ist der neue Fürst

 

 7月11日の、父・ハインリヒ殿下薨去に伴い、クリスティアン殿下が新しいフュルステンベルク公になっています。

 インタビュー記事はとても興味深いのですが、いくつか引用してみます。

 

Ich würde sagen, die wichtigste Tradition bei uns ist die Erbfolge. Das heißt, dass der älteste Sohn das Unternehmen verantwortet und den Titel erbt.

私たちにとって最も重要な伝統は継承だと思います。つまり、長男が会社の責任者となり、称号を継承するということです。

 

Denn wenn man das immer zwischen allen aufteilt, ist irgendwann nichts mehr da.

Dafür braucht es Disziplin. Denn es gibt Geschwister, die fragen, warum bekommt der alles. Da muss man dann faire Lösungen finden. Das ist auch eine Frage der Erziehung. Auch ein wichtiges Thema.

いつもみんなで分けていたら、いつかは何も残らなくなるからです。

それには規律が必要です。なぜあの子が全部もらえるのか、という兄弟がいるからです。公平な解決策を見つけなければなりません。それは教育の問題でもあります。これも重要なテーマです。

 

(質問者)

Sie haben erzählt, dass das Unternehmen immer an den ältesten Sohn geht. Was passiert, wenn ein Fürst irgendwann einmal nur Töchter hat?

会社は常に長男に行くものだと言いましたね。公に娘しかいない場合はどうなるのですか?

(公の回答)

Wenn jemand ausschließlich Mädchen bekommt, dann ist momentan die Tradition, dass es an den ältesten Sohn des Bruders geht. Und wenn der keine Kinder hat, geht es an den ältesten Sohn des Cousins. Der erste, der das wieder selbst entscheiden kann, ist mein Sohn – Tassilo.

Wir sind geprägt vom Testament meines Großvaters. Der hat darin den Wunsch geäußert, dass die Erbfolge im Sinne der Hausgesetze weitergeführt wird. Das kann man im Testament bis auf drei Generationen festlegen.

Mein Sohn kann dann frei entscheiden und auch modern sein, und beispielsweise die älteste Tochter als Erbin festlegen. Es gibt Häuser, die moderne Wege gehen. Es gibt aber auch andere Beispiele wie das Haus Zeil, die haben sechs Töchter und einen entfernten Cousin als Erben eingesetzt, weil das so in den Hausgesetzen verankert ist.

女の子しかいない場合、現在の伝統では、弟の長男に与えられます。もし彼に子供がいなければ、いとこの長男に相続されます。また自分で決められるようになる最初の人は、私の息子-タッシロです。

私たちは祖父(編注:ヨアヒム・エゴン公。先代の甥として継承)の遺言に影響を受けています。その中で祖父は、家の法律に従って継承を続けてほしいという希望を述べています。遺言書では三世代まで指定することができます。
(編注:これはこの遺言書がそうであったということで、一般に三世代を指定するということではないはずですが……?)

そうすれば、息子は自由に決めることができるし、現代風に、たとえば長女を相続人に指名することもできる。現代的なアプローチをとる家もある。しかし、ツァイル家のように、6人の娘と遠いいとこを相続人に指名する例もある。
(編注:ヴァルトブルク=ツァイル=トラウフブルク家のこと?)

 

Unsere 20 Angestellten sagen Durchlaucht. Das ist die historische Anrede. Wenn ich gefragt werde, wie ich angesprochen werde, dann sage ich: „Das überlasse ich ihnen.“ Wer es historisch mag, der sagt Durchlaucht. Mein Nachname ist Prinz zu Fürstenberg, also ist Herr Prinz zu Fürstenberg korrekt. Und wenn jemand Herr Fürstenberg sagt, bin ich auch nicht beleidigt. (lacht)

20人の従業員は、殿下と呼びます(編注:公のことを)。それが歴史的な呼び方です。私はどのように呼ばれるかと聞かれたら、「それは彼らに任せます」と答えます。歴史的な呼び方が好きなら、殿下と言ってください。私の姓はプリンツ・ツー・フュルステンベルクなので、プリンツ・ツー・フュルステンベルク氏が正しいです。誰かがフュルステンベルクさんと言ったとしても、私は怒らないですよ(笑)。